幻視、幻覚、被害妄想があった母を遠距離からどう支援したのか【正解のリハビリ、最善の介護】
【正解のリハビリ、最善の介護】#55 「ま~くん、おるんよ」 枕元に、母が座っていました。え、と思って時刻を確認すると午前3時でした。母が1人で暮らしている実家に帰省した時の出来事です。 突然母が別人になった(4)真夏なのに「春」と答え、ここがどこかもわからない 「何がおるん?」と返事をすると、「あいつらが、また来とるんよ」と母がきつく言いました。とても怖くなりました。恐る恐る、「どこにおるの?」とたずねると、「お風呂場よ。こっちにおるから」と母が答えます。 「何か悪いことするの?」 「なんも悪いことはせんよ。でも、来とるんよ。こっちよ」 母が風呂場に向かいました。仕方なく、眠たい目をこすりつつ、後に続きました。 「ほら、おるやろ」 「どこにおるん?」 「あそこよ。あの隅に、黒いのが3人おるやろ」 愕然としました。もちろん、何もいないのです。 私が「誰もおらんよ。人も見えないよ」と言っても、母は「……見えんの? あそこよ」と言い張ります。私は「本当に誰もおらんよ。何も見えんよ」と、答えるしかありませんでした。 すると、母は「おまえがおらん言うんやったら、おらんのよね。もうええわい」と話すのをやめました。 母によると、それからも“黒い人”はよく来るらしいのですが、悪さはしないことを納得できたので、母には放っておく余裕が生まれました。しかし、私は実家に帰省して泊まるのが怖くなりました。 母には黒い小人が見えていました。40センチほどの黒い小人が布団の足元に入ってくるらしいのです。しかし、悪いことはしないといいます。また、時々エアコンの送風口から火が噴き出すのが見えたそうです。親戚からの報告では、2回も消防車を呼んで大騒ぎになったとのことでした。 そのうちに、母は食事をしなくなり、どんどん痩せていきました。体重は30キロを切って、首が下がって頭部を挙上できない状態になってしまいました。ただ、介助なく1人暮らしができるため、母は独居を希望しました。 私が帰省した際、連れ出して一緒に食事をすると、私以上の量を「おいしい」と、うれしそうに食べました。普段は食事するのを忘れるのか、準備が面倒なのかはわかりませんが、食べないようでした。それでも、お腹がすいて困ることはなく、母は「ちゃんと、食べてるよ」と言います。そして、知人を自宅に呼んだときは、気前よくごちそうするのを好みました。 ■離れていても親の介護支援はできる そのうち、突然、「1人暮らしは難しいから、施設(サービス付き高齢者住宅)に入るよ」と一気に行動に出ました。驚くことに、施設できちんと3食を食べるようになると、首がみるみる上がってきて、普通の頭の位置に戻ったのです。首が下垂した高齢者は、栄養を規則正しくとると頭部下垂の症状が改善することを学びました。 それでも、歩行はすり足で、徐々にスピードは遅くなりました。物とられ妄想や被害妄想は継続し、幻視も続きましたが、会話は普通にできて礼節も保たれています。面白いことに、すぐ怒るような“怖い人”を敏感にとらえて、距離を置いて過ごしていました。 私は地元総合病院の主治医の先生と相談しつつ、微量な向精神薬治療を使って“可愛い礼節のあるおばあちゃん”が維持できるように内服調整しました。主治医の副院長先生は、「この程度の内服でこんなに効果が出るのは凄いですね。勉強になりました」と喜ばれました。 ある日、施設の自室で転倒して、大腿骨転子部骨折を起こしました。母が「ま~くんに怒られる」と口にしていると、施設の方から電話がかかってきたのです。結局、地元の主治医のいる総合病院に入院となり、保存的治療の方針となりました。しかし、入院後1週間で急性心不全により、突然他界しました。 母の病態は、レビー小体型認知症でした。最後まで子供たちに迷惑をかけたくないという本人の希望に沿い、施設で入浴以外は介助なしの生活ができていました。 遠距離で暮らしている親子は、頻繁に会ったり、介護のために休暇をとったりはできません。しかし、親子の距離感を保つことはとても大切です。 私が遠く離れた故郷にある地元の介護サービスや施設、かかりつけ医、総合病院と連携して、両親を最後まで地元で看取れたのは、自分が医療介護に精通した専門職であったこと、総合病院で勤務している医師がほぼ母校の後輩たちだったことが大きかったと思っています。 しかし、これと同じような医療介護の連携体制が構築できれば、多くの人が、遠く離れていても親の介護支援をできるはずです。これからの超高齢社会では、特に地方での認知症と看取りの医療介護体制を整えることが重要だと思います。 (酒向正春/ねりま健育会病院院長)