【家族の絆】「居間のテーブルにエンディングノートがあった」母親が終活と向き合えたきっかけとは~その1~
両親は大きな病気を1つもしなかった
兄は地方の大学に進学して、そのときに実家から離れた。亜美さんは実家から通える大学に進学して、就職して3年目のときに実家を出た。兄は年に1~2度しか実家に寄りつかなかったが、亜美さんは年に4~5度は実家に帰省していたという。 「私が実家から離れたときは両親はまだ50代前半で、2人はまだまだ現役で働いていました。私たち子どもが実家を出て行ってからすぐに家をリフォームして、父は兄の部屋を自分の部屋にして埋め込み式の本棚を作ったり、母親も私の部屋に大きなマッサージチェアを置くなど、とても楽しそうでしたね」 母親の部屋もリフォームされていて、押し入れが洋風の収納棚に変わっていた。その中には兄や亜美さんの小さい頃の思い出の品が整理されていた。 「子どもって実家から離れるときに思い出の品を置いていきますよね。それらが、収納棚の上の段には兄の、下の段には私のと、整理されていました。兄のところには子どもの頃に読んでいたマンガの全巻セットなんかも綺麗に箱に入れられていて、『こんなの兄に確認して捨てればいいのに』と母に言うと、『だってあの子がまた読みたくなるかもしれないでしょう』と。当たり前のように私たちの物を大切に置いておいてくれる。そんな母の姿に私はとても嬉しくなりました」 両親は60歳のときに正社員から嘱託社員に変わるも、母親は63歳まで、父親は70歳まで働いたという。 「両親は同い年で母親のほうが7年ほど早く仕事を引退しました。会社のほうは引き留めてくれたようなんですが、母親は『もう体力が持たない』と断ったと言います。私は小さい頃からいつも精力的に仕事をしている親をずっと見てきました。その姿が当たり前になっていたから、母の弱音を聞いたときに、初めて親の老いに向き合った気がします」 夫の父親が認知症になったことで親の老いから目を背けられないことに気づくも……。 【~その2~は関連記事から】 取材・文/ふじのあやこ 情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
サライ.jp