【ラグビー】7人制日本代表でも近大でも学びあり。植田和磨は「プレーで引っ張れたら」
大雨が濡らす芝で、約80メートルの独走トライを決めそうだった。 近大ラグビー部の植田和磨副将が9月22日に出たのは、関西大学Aリーグの初戦である。 東大阪市花園ラグビー場の第2グラウンドで、傘をさす立ち見客を驚かせたのは前半17分頃。自陣22メートルエリア右で相手のキックオフを捕ると、迫るタックルを次々とかわした。一気に敵陣の深くまで駆け上がった。 最後は向こうの擁する昨季の20歳以下日本代表選手、御池蓮二らの好カバーに阻まれて得点ならず。互いの妙技が衝突した。 まもなく近大がスコアしたとあり、植田はポジティブに振り返った。 「結果的にトライを獲れなかったので課題は残りましたけど、ゲインを切って、チームを勢いづけて、最後は得点に繋がったので、よかったと思います」 この日は59-31で勝った。逆側のWTBへ入った西端玄汰が前半だけでハットトリックを決めたなか、自らも後半35分にフィニッシュした。やや大味な展開に「(点を取ってから)慢心せずに次に進むことがひとつの課題」と反省も、学生生活最後のシーズンを前向きに進める。 「今年はリーダーシップを発揮してくれる選手が多い。自分は幸いにもオリンピックに出させていただいているので、プレーで引っ張れたらいいなと思います」 その言葉通り、7月はオリンピックパリ大会に出場。男子7人制ラグビー日本代表として、スタッド・ド・フランスでのメダル争いに挑んだ。 結果は全敗で12チーム中最下位と振るわず、「世界で勝つための戦術――相手にプレッシャーをかけること――がはまらなかった。自分もディフェンスで外されることがあった。相手が、自分たちよりもひとつ、ふたつ、上にいた」。国際舞台の厳しさを味わった。 「いまの世界のセブンズでは、(選手が)アスリート化している。足が速い選手も、その辺にいる『速い』ではなくて、(追いかけても手が)届かないほどでした」 収穫はそのタフな現実を知ったことと、舞台に立つまでの過程に学びがあったことだ。 普段の世界のセブンズシーンでは、代表チームが世界各地で転戦。時差と対峙しながら、場所によっては「サラダだけで米がない」という食事の環境にも適応しなければならない。その環境下でタフになったと、植田は言う。 「日本だけにとどまらずに世界に行ったことで、そういう(過酷な)事実も知って、そこに対応する力が身についたと思います。時差ぼけにならないように(機内で)頑張って起きて、寝る時にはしっかり寝る…みたいな。しんどい時もありましたけど、自分で自分のコンディションを整える力は養えました」 身長177センチ、体重87キロでばねがあり、ハイボールの捕球にも定評がある。卒業後はリーグワン1部のクラブへ進み、15人制の日本代表入りを目指す。出たいのは、2027年のワールドカップオーストラリア大会だ。翌’28年のオリンピックロサンゼルス大会への思いについては、こう言葉を選ぶ。 「ワールドカップを経験させてもらえたら、その先にはまたオリンピック出たい気持ちが芽生えるかもしれません。その時の自分の判断に任せようかなと」 8月には、エディー・ジョーンズヘッドコーチ率いる15人制日本代表の合宿に練習生として参加できた。 「(ジョーンズからは)『フットワークがよく、可能性がある』と。自分の持ち味をそう言ってもらえたのはありがたいです。でも、走ること、パス回しで自分はまだまだ劣っている。成長して、もっといい風に見てもらえるようになりたいです」 いまはまず、所属先で結果を残したい。モチベーションの源には、神本健司監督への敬意がありそうだ。 よき対話ができたのはパリへ渡る前。チームの一員としてある大会へ参加した時のことだ。 その大会では、もともと登録されていた選手のひとりが当日になってメンバーから外れることがあった。集合時間に間に合わなかったのを受け、神本監督が決断した。 当該のプレーヤーの力が必要と感じた植田は、指揮官に考えを改めてもらうよう直訴。それに対して神本監督は、このような趣旨で述べたという。 <規律の乱れを許すと、チーム全体が悪い方向へ流れる。これからは、お前がその選手の様子に気をつけなさい> 植田の述懐。 「…神本さんがそう仰っていまして、それはそうだなと納得しました。これからの近大のためには、当たり前のことを当たり前にやるというスタンダードの部分をしっかりしないといけない。これまでも、神本さんの言葉通りにしたらうまくいったことがあります。尊敬しています」 10月6日には初戦と同じ場所で、関西大との2戦目に挑んだ。25-31で初黒星を喫したが、簡単にシーズンを終わらせるつもりはない。すべての経験を肥やしにして、全国4強以上を狙う。 (文:向 風見也)