なぜ阪神は岡田監督に続投要請をしなかったのか?
球団は岡田監督に続投要請を行わず、2年契約の満了による退任となった。ただ岡田監督の功績を認め、その卓越した野球理論と早大時代から培った球界人脈を今後の阪神のチーム編成や強化に生かしてもらうためにフロントのポジションを用意した。故・星野仙一氏は、監督退任後にSD(オーナー付シニアディレクター)に就き7年務めたが、同じような立ち位置となる予定だ。 次期監督には、球団OBでSAの藤川氏が最有力だが、コーチ経験もないままの監督就任となる。阪神では同じくコーチ経験のなかった金本知憲氏に監督を任せて失敗した教訓があるため、岡田監督にフロントの立場から藤川体制をバックアップしてもらいたいとの狙いもある。 ただ解せないのは阪神が今や名将と呼んでいい岡田監督への続投要請を行わなかった理由。理想でいえば、あと1年、岡田監督に任せ、藤川氏を入閣させて、その帝王学を学ばせてバトンタッチする形がベストだろう。 なぜ阪神は続投要請を行わなかったのか。 理由は2つある。 ひとつは、11月で67歳になる岡田監督の年齢からくる健康問題を考慮したこと。11年ぶりに現場復帰した岡田監督は、“浪人時代”にゴルフで鍛えていたが「そりゃ使う体力は全然ちゃうでえ」とキャンプでは朝から晩まで長時間グラウンドに立ち、試合になれば極度の緊張やストレスの中で戦う環境の変化に苦しんでいた。 特に「遠征の移動が疲れる」と言っていた。喫煙の影響か、咳も止まらず、今季は移動日やデーゲーム後に飲みにいく機会もガクンと減った。ベンチに入るとアドレナリンが駆け巡り、シャンとするが、そのスイッチが切れるとガクンと疲労に襲われた。 そしてもうひとつは、事実上阪急が選定した岡田監督はそもそも球団の「意中の人ではなかった」という阪神の悪しき伝統と呼べる極めて政治的な理由だ。 話は2022年にさかのぼる。 沖縄キャンプ前日に、当時の監督だった矢野燿大氏が、その年限りで退任する意向を表明するという異例の事態が起きた。球団は時間をかけて次期監督の選定作業に入り、当時2軍監督で、現在ヘッドコーチを務める平田勝男氏に白羽の矢を立て、その次の監督候補として藤川氏を同時に入閣させるという数年先を見据えた“セット”で新体制を構築する考えを固めた。だが、この構想に阪急阪神ホールディングスの最高トップである角和夫CEOが“物言い”をつけた。 村上ファンドによる企業買収の危機にさらされた阪神電鉄は2006年にライバル会社である阪急電鉄に“ホワイトナイト”を頼み、企業統合した。阪急阪神ホールディングスとなっても、阪神タイガースの経営運営は、阪神電鉄と球団に任されていたが、監督人事やFA補強など高額な出費が必要な案件ついては、阪急阪神ホールディングスの取締役会の決済、つまり阪急の承認をとりつけなければならなかった。ただこれまでは、阪神タイガースのオーナー、すなわち阪神電鉄のトップの決定に阪急が意見を挟むことはほぼなかった。しかし2005年以降、17年間も優勝から遠ざかっている状況を憂いた角CEOが初めて「その構想では勝てない」と、そのプランを差し戻して、具体的に2005年の優勝監督である岡田氏の監督就任を提案した。