能登半島地震から半年 倒壊した家屋の解体できず復旧・復興は「前に進まん」 もどかしい状況続く被災地
能登半島地震の発生から7月1日で半年が経過しましたが、今も多くの人が避難生活を余儀なくされています。中京テレビの取材班が現地の今を取材しました。
進まない復旧・復興 「まだまだ全国からいろんな支援が必要」
6月29日、発災から半年を前にした珠洲市宝立町。町を歩くと草が伸び放題になっていて時の流れを感じる一方、電柱は傾き、マンホールが地面から突き出た状態が、今もそのままとなっています。周囲には解体作業が始まらず、崩れたままの住宅も。解体作業が終わった家屋も、隣には木材や屋根瓦が積まれている状態です。
現地では、被災した家屋の中を片付けるボランティア活動が行われていましたが…。 神戸市からのボランティア参加者: 「全然1月の状態から変わっていないんじゃないかと思う。聞きはしていたが、実際来てみたらすごい状況で、まだまだこれから全国からいろんな支援が必要なんじゃないか、長い支援が必要なんじゃないかと思います」
現場を歩いていると、当時の光景が思い出されました。傾いた家の中から聞こえる消防隊員の声。救助した被災者に『寒い仲良く頑張ったね』と声を掛け、手を合わせていた様子。 今年1月5日、珠洲市の観光名所「見附島」近くでは、住宅は倒壊し、家財道具が道路に散乱。マンホールは地面から飛び出して道路をふさいでいました。新しい年を迎えたばかりの街は一変してしまったのです。
半年たっても周辺は断水したまま 現在も避難所生活を続ける人たち
珠洲市立宝立小中学校に設置された避難所。運営を担っていた多田進郎さんによると、ここには、1月1日の時点で一挙に720人が避難し、それからも少しづつ増えて、一時は800人近くになったといいます。町の人口は少ないのですが、正月で帰省していた人たちも避難したためです。多田さん自身も自宅が全壊し、この避難所で生活していました。
このあたりは近所同士のつながりが強い地域。近隣から持ち寄られた食材で炊き出しをするなどして、住民が力を合わせて困難な状況に立ち向かってきました。 避難所を運営 多田進郎さん(1月のインタビュー): 「まず自分たちの力で今できることをなんとかやっていこうと。ひとりじゃないよ、被害を受けた、同じ恐怖体験した者が集まっているという。それが力になったんじゃないかな」