ニューヨークで示した核兵器廃絶への覚悟「アメリカで証言できれば世界を変えられる」 平均年齢85歳、核禁止条約会議で語った被爆者の言葉は日米の若者の心を揺り動かした
河野さんは被爆者らと街頭デモにも加わり、英語で「核兵器は違法だ」と気勢を上げた。「世界平和のためにエネルギーを振り絞る被爆者を尊敬しているし、励まされる」という。 米国人は街頭デモを見て何を感じたのか。50代男性は「ニューヨークは自由で寛容だから、デモをするにはいい場所だと思うね」。米国が核大国であることをどう思うか聞くと、複雑な表情を見せた。「米国は核抑止により小国を守っている」と前置きした上で考えを語った。「核兵器は理想上なくした方がいいし、人類が大きな力を持つのは自然ではない。だが核の威嚇を繰り返すロシアや、相次いでミサイルを発射する北朝鮮を見ると、核廃絶はとても難しい」 ▽「これからも被爆者として何をすべきか、考える」 12月1日。議場で会議の閉幕を見守った被爆者は、若者と互いをたたえ合い、会期を無事に駆け抜けたことに安堵の表情を見せた。 長崎で被爆した医師の朝長万左男さん(80)は会議への参加に先立ち、11月上旬から約2週間かけて米国の地方都市を巡り、市民との対話集会を開いてきた。会議の成果を「非人道性をとことん追及する状況が生まれている」と評価した一方、こう不満ものぞかせた。
「核保有国を取り込むため、どういう交渉をしているか示されなかった。敵視だけでは進歩はない。保有国との対話を実現し、会議に出席してもらうことが大事だ」 箕牧さんと佐久間さんは帰国後、それぞれ広島市で報告の記者会見を開いた。箕牧さんは日本政府に条約加盟を求め続ける決意を示し「悔しく、歯がゆい。今後も署名活動をし、訴えていく」。渡航は最後かを改めて問われると、旧日本軍が奇襲し太平洋戦争の端緒となった「(米ハワイの)パールハーバーはこの目で見てみたい」と、ばつが悪そうにほほ笑んだ。 佐久間さんは「私は被爆当時の記憶はないが、被爆者としてどう生きてきたかを訴えていくことがとても大事だと思う」と話した。そしてこう締めくくった。「これからも被爆者として何をすべきか、考えていく。私たちが活動を続けることで、若い人たちもついてきてくれる」(年齢は全て取材時) × × × ニューヨークでの取材中もさることながら、年を重ねてもなお、核廃絶へ諦めずに進む被爆者の姿には圧倒される。同行した私たち記者は1人は40歳で、2人は帰国後に28歳になった。被爆者の思いを読者や後世に伝える責任があると強く感じる。戦争の記憶を継承する自覚が、より求められる。そのために何をしていくべきなのか。佐久間さんの言葉は、戦争を知らない世代に向けられたメッセージでもあると感じた。