ハスラーやウェイクが新境地 “高付加価値”軽自動車の時代始まる
規格の変更とともに進化
1990年台前半までの軽自動車は、トヨタや日産にとって「自動車未満」の商品だった。軽自動車の顧客はやがて普通車に乗り換える。過渡的な商品だ。だから大トヨタ、大日産は、そんな製品を作るのは沽券に関わると言わんばかりの態度で、軽自動車というジャンルに全く興味を示さなかった。 しかし、トヨタと日産が高みの見物を決め込んでいる間に、軽自動車業界では、スズキがワゴンRというヒットを飛ばして状況が一変した。小さく狭かった軽が、十分に日常のアシとして使えるユーティリティーを備えたからだ。 ワゴンRの登場に大きな影響を与えたのは1990年の軽規格の変更だ。排気量も550ccから660ccへと拡大されたことによって、従来より大きなボディでも十分な動力性能が得られるようになった。ワゴンRのスペースユーティリティを可能にしたのは、この規格の変更が極めて大きかったのである。そうしてワゴンRとその対抗馬ムーヴが大ヒットを飛ばすのだ。 日産はカルロス・ゴーン社長の鶴の一声を受け、2002年になってようやく三菱とスズキからOEM供給を受けて軽自動車の販売に乗り出した。そうやってOEMでかき集めたラインナップが意外にも売れたことで、社内の状況が変わる。その延長に三菱との合弁事業が生まれたわけだ。一方トヨタも傘下のダイハツから車両を調達して、自社ブランドモデルを確保した。トヨタ自社製の軽自動車が発売されるのではないかという噂も度々出ている状況だ。
そうして拡大した軽自動車マーケットは、1998年に再び規格変更を受ける。全幅が1480ミリ、全長が3400ミリに拡大された。排気量はそのままだ。この新規格をめいっぱいにつかって更に背を高くしたタントが2003年に現れてさらに状況が加速した。 スズキは2008年にパレット(現在はスペーシアが後継)を対抗馬に立て、ホンダは2011年にN-BOXで限りなく1800ミリに近い1780ミリという極端な車高のモデルを送りだし、軽自動車とは思えない圧倒的な広さを実現、もはや普通車を敢えて選ばなくてもいいほどの居住性を実現した。 つまり、1990年代以降の軽自動車の歴史は、軽自動車の規制緩和という大きな流れを背景に、どんどんスペースユーティリティを拡大してきた歴史なのだ。しかし、流石にこれ以上、ただ背を高くしても意味がない。実用性の高さを争ってひたすら「より広く」を追求してきた軽自動車は、これまでの方向性ではもう発展が望めなくなった。そういう袋小路に差し掛かりつつある軽自動車の新たな出口として、ハスラーとウェイクは登場したのである。