日本製鉄、年内で「BNAプロジェクト」廃止。中国合弁20年の歴史に幕
日本製鉄は12月31日付で海外案件の運営部隊の一つ「BNAプロジェクト」を廃止する。宝鋼日鉄自動車鋼板有限公司(BNA)をめぐる20年間の合弁契約を満了。持分譲渡など当局の認可を経て今月15日に宝山鋼鉄がBNAを完全子会社化したと発表した。2003年8月に上海宝山冷延・CGLプロジェクト班としてスタートし、初代の入山幸氏から遠藤悟常務執行役員まで10人を超える大物役員が班長・リーダーを務めてきた一大プロジェクトが静かに幕を下ろす。 BNAは02年ごろから構想が浮上。03年7月、宝鋼と新日本製鉄を主体とした外資企業が折半出資する合弁事業として設立で合意した。04年7月の発足当初は宝鋼50%、新日鉄38%、アルセロール12%が出資し、BNAは3社の頭文字をとったものでもあった。 後にアルセロールはアルセロール・ミッタルとなり、湖南華菱集団と折半出資の車用鋼板合弁のVAMAを立ち上げる独自路線をとってBNAから撤退。宝鋼と日鉄の折半出資事業となり「A」はオートモーティブを意味する略称となった。 BNAは05年3月から生産を始め、9月にはほぼフル生産に入った。設備の建設から立ち上げまで異例のスピードで進み、中国の高度経済成長期を体現した事業と言える。 一方、05年11月の開業式では報道陣による工場内の撮影をめぐり中国側が強く反対。当時の三村明夫社長が徐楽江総経理に直談判を重ねた末、了承される一幕もあり、当時の日中合弁の難しさを端的に物語っていた。 また高級鋼材を造るBNAは無縁だったが、05年は中国で汎用鋼材の生産過剰感が強まりアジアの鋼材市況に異変が生じていた。中国の内需拡大で調整局面はさほど長引かなかったが、今の深刻な生産過剰の「萌芽」も見られていた。 BNA設立から20年が経ち、中国の鉄鋼市場や自動車産業、そして中国をめぐる国際情勢も大きく変わった。先月には韓国・ポスコによる中国ステンレス事業、張家港浦項不銹鋼の売却構想も浮上。外資導入で経済成長を果たしてきた中国のターニングポイントを象徴する動きが相次いでいる。