ヒオカ「内申点が低いと高校受験で不利になる。私が不登校から高校に合格できたのは保健室登校のおかげ」
◆私が不登校から学校生活に復帰できた理由 だから、今でも不思議なのだ。私は教室に入っていないから通知表もほとんどついていなかった(部分的にでも教室で授業を受けた科目は、2とか3をつけてくれた)。部活動や委員会活動も、行事への参加も一切していない。内申点はほぼないに等しいだろう。なんでX高に受かったんだろう。なんで、担任はX高行けるって言ったんだろう。 今となってはその理由はわからない。 高校には進学できたものの、人を避けて生活していたところから、大勢の中での生活に移行するのは簡単ではなかった。人が怖かった。学校では毎日お腹が痛く、休憩の度に誰もいない空き教室に駆け込んだりした。 それでも、スパルタ教育で毎週大量の課題が出て小テストがある生活で、勉強に追われる中で気が付いたら周りが気にならなくなっていた。中学のように周りにかまって暇つぶしのように誰かをいじめる人なんていなかった。みんな自分の勉強のことで手一杯だったのだ。 私が不登校から学校生活に復帰できたのは、それだけでなく、学校側の配慮があったからだ。私が中学校で不登校だったことは高校の教師たちも知っていた。だから、こっそり呼び出され、クラス替えの時に、心の支えになる子をひとり同じクラスになるように配慮する、と言われた。そのおかげで1年のときにできた親友と2年、3年と同じクラスになった。
◆友人に恵まれ人間不信を克服 えこひいき、と言われるかもしれないが、それがあったから私は高校を卒業できたのだと思う。中学のいじめで人間不信になり、人の笑い声が全部自分への嘲笑に聞こえ、人前に出ることさえできなかった。そんな自分が何十人もいる教室で朝から夕方までみんなと同じ空間にいられたのは、奇跡としかいいようがないのだ。 その後進学した大学では、友人に恵まれ、人間不信を克服することができた。中学の時に取りつかれていた社会の中で生きていくことへの恐怖からも解放された。自分の学びたいことを思い切り学べる学生生活は刺激に満ちていて、得難い経験ができた。 それもこれも、内申点を理由に高校受験で落とされていたら、大学にも行けなかっただろうし、ずっと引きこもって人と関わることを諦めていたかもしれない。 不登校の生徒は今後も増え続けるだろう。内申点がないと受験で大きく不利になる現状は、再考の余地があるのではないか。
ヒオカ