被災者による奥能登の珠洲「ガイドツアー」その意図は…現地で取材 参加者から「思ったより復興進んでいない」「行っていいのか悩んでた」の声
令和6年能登半島地震の被害が特に大きかったとされる能登半島の最北部、奥能登。筆者は同じ石川県内に住んでいますが、把握しきれないのが現状…。そんななか、能登半島先端の珠洲市で7月から始まった「復興支援ガイドツアー」に参加し、現地を取材しました。 【写真】マンホールが飛び出している!? 同ツアーを提供するのは、珠洲市の復興を民間主体で進めるための珠洲市宝立町(ほうりゅうまち)の有志によるプロジェクト「リブート珠洲」。 「被災地の現状を多くの人々に知ってもらうこと」を最大の意義とし、外から人が来ることで地元の人が刺激を受けたり、宿泊施設や飲食店、土産物店などへの支援が広がったりすることが復興のきっかけになればという思いから企画されています。 今回は、約3時間をかけて、崩落で大きく形が変わってしまった見附島(みつけじま)、大きく家々が崩れたままの町、避難した人々が暮らす小中学校、お祭り用の灯ろうが収納されていたキリコ倉庫、津波で甚大な被害にあった「さいはてのキャバレー」、ボランティアが宿泊するキャンプ場などを案内してもらいました。 ツアーでは地震や津波の威力の凄まじさを目の当たりにし、避難所や仮設住宅の暮らしについて見聞きし、復旧・復興がどのように進んでいるかをうかがい知ることができました(ツアー内容については、記事後半にて紹介)。
きっかけは避難所で…
ツアーの案内を担当するのは、5年前に千葉県から移住したデザイナーで、「リブート珠洲」代表の篠原和彦さん、見附島観光協会に所属し、地震の前は道の駅の観光ツアーなどに携わっていた宮口智美さん。代表の篠原さんに立ち上げるまでの経緯や反応などについてたずねました。 2人が企画を思いついたのは、宝立小中学校に互いに避難していた頃。「話しているうちに、珠洲市の復興の話題になりました。行政を待っての復興だと時間がかかってしまう。最初は何か物品の販売をしようと言ってたのですが、店舗でも通販でも在庫を置く場所が必要になる。そこからツアーと言うアイデアが出てきました」。 とはいえ、「道路やライフラインの復旧さえ充分でない中でツアーをやっても地元からの反発があるのではないか」「建物の解体や撤去が進んでからの方がいいのでは」などの不安も。そこで、震災から半年後の6月に、地元の人を対象にモニターツアーを実施し、好感触を得たことが後押しに。地元の人でさえも、「津波から避難してきた人は被害が大きかった地域には行けていないとか震災後に見ていない場所もあったんです」。