天才は天才をどう見ていたのか? 『百年の孤独』の作者ガルシア=マルケスを安部公房が語る 「一世紀に一人、二人というレベルの作家」
どうもマルケスから話がそれちゃったけど。つまり日本人の活字離れとか、劇画の流行というのも、日本人の左脳に負担がかかりすぎた結果じゃないかと思うんだけど。だとしたら、これは宿命だね。たしかに左脳、デジタル脳の優勢は技術的な作業なんかするのにはいいかもしれない。だから自動車作るのはうまいけど、右脳が閉塞して左脳だけになっているから、読むのは劇画だけ、小説はだめ、というふうに、まあこれは避けがたいことかもしれないね。絶望的な日本人の不幸と思ってあきらめるべきかもしれない。だとしたら日本でマルケスは売れない。カネッティも売れない。ごく少数だけが小説読んで、理解できる人は孤独に悩むしかないんじゃないか。そうしたら、ここで話していることも意味がなくなってしまう。あきらめるか、それとも多少の努力はして、脳の調整をしてみるか。作曲なんていう仕事は右脳なしにはできないらしい。日本の作曲家で国際的な高い評価を受けている人がいる。だから日本人の右脳が先天的にだめというわけでもなさそうだ。 たしかに世聞的な人間関係の維持だけだったら、右脳はいらない。そういう人の特徴は、第一にユーモアがないこと、理屈っぽいこと。見回してもそういう人いるでしょう。学校の成績はいいんだよ。だけどどうにもおもしろくない人。どうしたらいいんだろう。なんとか右脳を萎縮させない方法はないだろうか。角田さんの受け売りだけど、音楽が効きめがあるそうだね。それからわさびがいいらしい。それからもう一つ分っているのがアンモニア。ボクシングのとき、コーナーに帰って鼻のところでサッとやってもらうやつ。でもアンモニアって劇薬だから軽はずみに変なことやらないで下さいよ。それからキンカンっていうのありますよね、虫にさされたときつけるの、あれは全然効かないらしい。アンモニアでなければ駄目。ただし必ず薬用アンモニアを買ってください。工業用アンモニアなんか嗅いだら、鼻が炎症起こしてしまう。逆に酒はよくないらしい。酒を飲むと解放されるようだけど、実は右脳が閉塞してバーッと左脳だけになってしまうらしい。そう言えば日本人は飲むと急にベラベラしゃべりはじめるね。完全にデジタル化しちゃうんだよ。だからユーモアもなくなる。くどくなってしゃべるだけになる。そういう時、寿司を食べるとわさびでちょっと右脳が回復するんじゃないか。あれはそういう体験的な治療法なのかもしれない。劇画も多分有害だと思う。劇画っていうのは結構意味で読んでる。無意味なようでいて意味過剰なんだ。それに擬声音が多い。ギャーッとかギャオーとか。あれは全部アナログに見せかけたデジタルにすぎない。それも幼稚なデジタル。劇画見ながら酒飲んでたら、これはもう日本人のお手本になりますね。 さて、そろそろマルケスに戻って、こういう視点を生かさないと、本当にマルケスを理解することはできないと言いたかったわけです。意味や解釈を越えた、よりアナログ的な、言語で置き換えてしまえない要素、つまり芸術ということです。マルケスがわからない人は右脳のほうが危ないから、わさびを食うとか、音楽をきくとかしたほうがいいかもしれない。とりあえず短編あたりから始めてみて下さい。それからついでにカネッティ。ただカネッティの小説は一つしかない。『眩暈』。これは彼が二十六歳のとき、一九三〇年頃の作品です。今さらノーベル賞という感じもするけど、見識と言えば見識とも言える。そういう苦しみに耐え抜いた作家。スペイン系のユダヤ人だけど、長いあいだ認められなかった。世界で最初にカフカ論を書いているんです。見えすぎていたのかもしれない。芝居も書いていますが、上演途中でみんな帰ってしまうし、新聞にはたたかれるし。イギリスに行って、本当に貧乏な暮しをしていたらしい。偶然だけど萩原延寿君がオクスフォードに行っていたころ、これも金がなかったから学校が終ると安いパブに行って、ビール飲んでパンでも食べていた。いつも隣り合わせに爺さんが一人いた。自分も黄色いアジア人で、孤独で、金もない。すぐその爺さんと友達になった。ずいぶん頭のいい乞食だなあと思って、試しにちょっと難しいこと言うと、向こうはそれ以上のこと知っている。名前を聞いたら、エリアス・カネッティ。さすがイギリスともなると立派な乞食がいるものだと名前は憶えていた。そしておととし、萩原君から電話があって、「カネッティという人ノーベル賞とったけど、あれどういう人かね」、「僕知らないんだ」と答えると、「僕は実は知ってるんだけど、あれは乞食だと思っていた」というできすぎた話があるくらい、孤独に耐え抜いて来た作家です。すごいものですよ。皆さんにもぜひ買って読んでもらいたいけど、たぶん買わないだろうな。でもマルケスの短編ぐらいは、右脳のためにもね。さあ、もう言うことはなくなってきた。 安部公房(作家) (1924-1993)東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。2012年、読売新聞の取材により、ノーベル文学賞受賞寸前だったことが明らかにされた。 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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