天才は天才をどう見ていたのか? 『百年の孤独』の作者ガルシア=マルケスを安部公房が語る 「一世紀に一人、二人というレベルの作家」
マルケスの魅力は、まずどこどこの作家というような所属の括弧からはずれたところにあると思う。あえて所属を言うならむしろ時代でしょう。空間よりも時間、地域よりも時代に属する作家なんだ。マルケス自身は、現実のコミュニズムにはかなり批判的らしいけど、明らかに左翼的ですね。現にアメリカには入国できない状態なんです。しかしアメリカのコロンビア大学から文学関係では最初の外国人の名誉博士号を受けているマルケスの、最初の理解者はアメリカだったかもしれない。もちろんソ連や東ヨーロッパでも、マルケスのことを話題にすると、学生なんか目をかがやかせて反応する。うまく言えないけど、とにかくマルケスの文学は世界に辿り着いている。地域に対応するのが国家だとすれば、時代に対応するのは世界だ、という意味でね。こういうタイプの作家が目立ってくるのは、たとえば一九三〇年代のワイマール文化あたりからじゃないか。あの傾向はドイツ的というより、むしろ国際的というべきでしょう。亡命ユダヤ人を抜きにしては語れない。よく知られているところでは、ブレヒトであるとか……それからエリアス・カネッティも、やはりその周辺に位置づけられる。もっと輪を広げればフランツ・カフカなんかも含まれる。三人ともユダヤ人なんですね。戦後アメリカでユダヤ系作家が脚光をあびる以前から、亡命者の文化として芽をふきはじめていたのです。むろんその時代は同時にナチスの形成が進められていた時代でもあった。文化が世界性を獲得しつつあった時代に、政治はナショナリズムの形成に余念がなかったわけです。たしかに文化というものは弱いものです。いくらきばってみても、ヒットラーには手も足も出ない。だから僕も希望的観測を述べようとは思いません。しかしその亡命者の文化が第二次大戦後の文化に大きな影響を与えていることも否定できない。ワイマールだけでなくパリもそうだった。第二次大戦前、パリも亡命者の天国だった。前衛的な芸術というのはほとんどワイマールからパリへという形で受け継がれている。スペイン系の亡命者のなかには、パリ経由で中南米に向った者もかなりいる。そして中南米で、あの嵐の時代にまかれた種が受け継がれて、芽をふいたという考えかたもできるんじゃないか。たとえば映画のルイス・ブニュエルなんかその見本でしょう。スペインから亡命してアメリカへ行ったけれども、アメリカで本名を使えずペンネームでハリウッドの仕事をしていて、戦後になって突如メキシコに現れ作ったのが、あの『忘れられた人びと』という不朽の名作です。ブニュエルをメキシコの映画監督と言っていいかどうか非常に疑問ですね。スペインの監督でもない、ピカソと同じく、まさに世界の芸術家なんです。 一般に中南米作家の精神の底を流れているものは、第二次大戦直前の革命と反革命という大きな揺らぎのなかをくぐり抜け、第二次大戦後になってそれを芽吹かせた歴史感覚ではないかと思う。マルケスの場合も同じです。こういう時代背景を抜きにして、単に中南米という一つの地域の文化として考えたのでは分らない。マルケスをとらえるときには、国際的な視点というものが重要なんです。それはマルケスの作品が世界中に翻訳されているとか、コロンビア大学で名誉博士になったとかいうことで国際的なんじゃない。ひとえにローカルな視点を越えたという意味で国際的なんです。『百年の孤独』という作品はとにかく驚くべき作品です。背景とか登場人物の風習、習慣、そういうものはたしかに中南米的かもしれない。日本人なんかとは違ってあくが強いし、食ってるものだって、恐らくそれ食ったら三日ぐらいは体臭が抜けないだろうというようなものばかりだ。しかしそれに目をくらまされると、とんでもない誤解に落ち込んでしまうことになる。そんなこと実はどうでもいいことであって、結局は現代というこの特殊な時代の人間の関係を照射する強烈な光なんです。中南米の作家がとくに時代をとらえやすい立場にいたと言えるかもしれない。こわれかけた共同体の残骸が、とくに意識しなくても楽に見える。以前は日本でも、かなりはっきりした共同体の残像があって、それへのノスタルジアは今でも生きていますね。たとえば演歌。あれは共同体からの外れ者の歌です。共同体は消えても、ノスタルジアは残る。そういう共同体の崩壊過程でおこる人間関係の変質と反作用……それがマルケスの中心の主題です。だから一見したところ舞台は田舎、あるいは小さな町や村ですが、それをとらえる方法ははっきり都市の文学という以外にはない。なぜ都市かというと、その村なら村がすでに地域ではなく時代としての課題になってしまっているからです。