1回戦 見せた、粘りの米東 若鮎、健闘に拍手 /鳥取
<センバツ2019> 悔しさは夏に晴らす--。第91回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)第2日の24日、23年ぶり9回目の出場を果たした、県勢の米子東は1回戦で札幌大谷(北海道)に1-4で敗れた。昨秋の明治神宮大会覇者相手に“粘りの米東野球”を見せたが、甲子園1勝は遠かった。応援に駆けつけた一塁側アルプス席からは、全力でプレーしたナインらの健闘をたたえる拍手が鳴りやまなかった。【園部仁史、池田一生、遠藤龍】 【熱闘センバツ全31試合の写真特集】 ……………………………………………………………………………………………………… 米子東 001000000=1 10300000×=4 札幌大谷 米子東の一塁側アルプス席は試合前、若鮎(わかあゆ)をモチーフにしたユニホームと同じ色調の白と緑のジャンパーを着た生徒や保護者ら3000人超の大観衆で埋め尽くされた。米子東のイニシャル「YH」の人文字もつくり、選手たちが聖地で躍動する姿を心待ちにしていた。 試合は初回、先頭打者本塁打で先制を許し早くもピンチに。その後2死三塁の場面を迎えたが「これ以上の失点は流れが傾く」と二塁手の福島康太主将(3年)は、頭上を抜けそうになった打球に後ろ向きに飛びつくファインプレーで嫌な流れを断ち切った。父貴志さん(47)は「まだまだこれから」とメガホンを打ち鳴らした。 全員の思いが届いたのは三回。1死一塁で山内陽太郎選手(2年)がこの日2本目の安打を放ち、続く森下祐樹投手(3年)が必死に食らいついて内野ゴロとし三塁走者が生還して同点に。観客らは肩を抱き合いつつ、伝統の応援歌「黒鉄(くろがね)の力」を歌って喜んだ。山内選手の母敬子さん(46)は「このままの調子で……」と目を潤ませた。 だが願いはかなわずその裏に3点を奪われ、走者を背負う苦しい展開が何度も続いた。スタンドからはそのたびに「頑張れ、頑張れ、森下!」の大声援が飛んだ。1960年春の準優勝メンバー6人もその中に。岡本利之監督(当時)の遺影を持ち駆けつけた元主将、吹野勝さん(76)は「彼らならきっと逆転できる」。 最終回、総立ちのスタンドは逆転を祈り、これまで以上の声援を送る。応援団長の赤沢亮太さん(3年)も「選手たちは精いっぱい戦っている。スタンドも力の限り戦おう」と声をからしたが、あと一歩及ばなかった。 悔しい初戦敗退。23年前のセンバツ出場メンバー、平野勝久さん(39)は「夏はきょう以上の感動を与えてくれるはず」と若きアユたちの巻き返しに期待した。 ◇女子応援団員晴れ姿 ○…一塁側アルプスでは、米子東の女子応援団員、野間悠希奈さん(2年)と安部茉李亜さん(同)の2人が客席を鼓舞。100年以上の歴史がある応援団で、マネジャーを除く女子団員は“ご法度”という暗黙のルールがあったのが昨年認められて入団した。この日は詰め襟と腕章姿で男子団員に負けじと声を張り上げ、スタンドを盛り上げた。野間さんは「甲子園で応援するのは夢だった。選手たちに感謝です」と晴れやかな表情だった。 ……………………………………………………………………………………………………… ◇全国レベル学び「夏」へ 森下祐樹投手(3年) 一回裏の先頭打者に投じた5球目はど真ん中に入り、左翼スタンドに吸い込まれた。マウンドに長尾駿弥捕手(2年)が駆け寄ってきた。「まだ初回なんで大丈夫です」「分かっているよ」と互いにニッコリ。「人のため」とつばの裏に書かれた帽子に手をやった。 ランドセルと、野球道具一式を入れたバッグを抱えて小学校に通う筋金入りの野球少年。気心知れた仲間たちと、大好きな野球をするのが無上の喜びだった。女房役の長尾捕手ら、今のメンバーのほとんどが高校入学前からの付き合いだ。 勝利に執着するきっかけは一昨年の夏の鳥取大会決勝。あと一歩で甲子園を逃し、悔し涙を流し続ける先輩たちをベンチから見た。「行けたらいいな」が「必ず行く」に変わった。 この日四回以降、優勝候補相手に安打は許すも本塁は踏ませなかった。全国のレベルを知った日。涙をこらえつつ「夏は全員で日本一に」。チームのため、自分のために更なる研さんを誓った。【文・園部仁史、写真・山田尚弘】