「なるようになる」がチャンスを引き寄せる必然 ばんばひろふみさんが言った「結果はひとつ」
書評家で作家の印南敦史さんは小学時代、自転車事故で頭を打って意識不明に。さらに中学時代はクラスメイトから仲間外れにされたり、高校時代は自宅が火事になったり……。散々な目にあいながらも、前向きに「人生に抗(あらが)ってきた」と言います。その気持ちはどのようにして形成されてきたのでしょうか。印南さんの新著「抗う練習」から一部を抜粋、再編集してお届けします。 【画像】いまがつらくても、ゴールがあることを信じよう! 「抗い」の4ステップを画像で確認 ■「なるようになる」は必然的な考え方 高校1年生だった1978年に、放送局の文化放送が「チャレンジ・アメリカ」というキャンペーンを立ち上げました。
ネーミングにはちょっと恥ずかしいものがありますけれど、3回審査をして選んだ高校生をロサンゼルスでホームステイを無料でさせてくれるという太っ腹企画。まだ見ぬアメリカにかぶれていた当時の僕にとって、それは夢のような話でした。 とはいえ、行けるのは15人だけです。ましてや東京都下の三流高校に通っていた僕はまったく模範的な高校生ではなく、合格する可能性は著しく低かったはずです。 ところが、受かってしまったんです。
他のメンバーは優等生揃いだったので思い切り異端児となったわけですが、とはいえ合格してしまえばこっちのもの。 番組代表として同行してくださったシンガーソングライターのばんばひろふみさんから、「印南、俺はおまえがいちばん心配や」と呆れられながらも、2週間のカリフォルニア・ライフを満喫したのでした。 でも、なぜ僕のような劣等生が受かったのでしょうか? それは、応募の段階からつねに「なるようになる」と考えていたからだと思います。
アメリカには憧れがあったので、もちろん受かりたいと思ってはいました。とはいえ、客観的に考えればその可能性はとても低い。 しかし、どちらにしても「なるようになる」し、「なるようにしかならない」。 なぜだか、そんな思いが心から離れなかったのです。 ■抗った結果は受け止める どう考えても、望みが叶わない可能性のほうが高い──そんなときには、とかく悲観的に考えてしまいがちです。たしかに可能性が低いのであれば、悲観的になってしまっても無理はないでしょう。