「技術を盗まれるからダメだ」…中国の国家主席の要望をも突っぱねる男・葛西敬之が「リニア」に込めた思い
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。 『国商』連載第39回 『JR東日本にも運輸省にもナイショで…品川に「新幹線駅」を作りたかった葛西敬之のハチャメチャすぎる「行動」』より続く
台湾の地震をきっかけに
台湾は日本と同じ地震国でもある。1994年9月16日にはマグニチュード6・8の台湾海峡地震に見舞われた。黒野が次のような秘話を明かした。 「話のはじまりはまだ私が次官だった頃でした。『地震に耐えられる日本の新幹線技術がほしい』と李登輝総統から首相補佐官の岡本行夫(元外務省北米第一課長)君に要請があったそうです。すでにJRがヨーロッパと契約していて、そこへ台湾で大地震が起き、日本からの新幹線輸入の気運が高まったといいます」 橋本龍太郎政権時代である。 「橋本総理から『おい、ほんとに行くのか』と電話があってね。現職の役人が台湾へ行ったら、大変なことになると心配してくれたのでしょう。『ひょっとしたら運輸次官を辞職しなければならなくなるかもしれませんが、台湾新幹線が前に進むなら、私は行こうと考えています』と返事をすると、総理は『うーん、まあ、ちょっと俺も考えてみるよ』と唸っていました。今でも中国の手前、現職の役人が台湾でハイレベルの協議をすると厄介ですからね。結局、次官を辞めてから行くことになりました」
日本初の鉄道海外輸出プロジェクト
橋本自身、親中派の議員として知られるだけに、黒野の訪台はいったん見送られた。運輸事務次官を退任したあと黒野は岡本とともに台湾へ向かった。2000年2月のことだ。そこへ同行したのがJR東海社長の葛西だったのである。 「岡本君宛てに『日本のしかるべき人を連れて来てくれませんか』と李総統から要請があり、前の年の7月に次官をやめて、葛西さんと3人連れ立って向こうに行きました。岡本君が葛西さんに声をかけてセッティングしたわけです。ただ李登輝総統にしても、自ら声をかけたことが発覚して中国政府の神経を逆なでするようなことはまずいと考えたのでしょう。『台湾政府としてこれ以上口を出せない』と言っていました。日本にいる台湾ロビーからいろいろ探りが入るかもしれないけれど、われわれが李登輝総統に会ったことはいっさい秘密にしてくれ、とも言っていました」 そうして新幹線の輸出が決まり、三菱重工業、東芝、川崎重工業、三井物産、三菱商事、丸紅、住友商事の7社が出資し、台湾新幹線株式会社が設立された。JR東海やJR西日本、日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が技術支援した台湾高速鉄道は、日本初の鉄道海外輸出プロジェクトとして評判になる。台湾高速鉄道は07年1月5日の開業以来現在にいたるまで、台北市の南港駅から高雄市の左営駅までの345キロを1時間30分で結んでいる。