「総会屋事件の主任検事をやってもらうからな」平成事件史:戦後最大の総会屋事件(6) 「最強」捜査機関の実像
粂原研二は出向先の「SEC」から2年半ぶりに復帰した。粂原は熊﨑副部長時代の「ゼネコン汚職」では、財政経済班からの応援で贈賄側の一社、西松建設の幹部の取り調べを担当した。「SEC」に出向中は多くの証券取引法違反事件を告発したほか、野村証券の「総会屋」小池隆一への利益提供の端緒をつかむなど、証券取引のエキスパートだった。粂原は後に「日興証券」の役員らに利益を要求していた衆院議員・新井将敬の取り調べを担当することになる。 司法研究所教官から松井巌(32期)、松井は北海道出身で東北大卒、野村証券のトップ、酒巻英雄元社長の取り調べを担当した。「総会屋」小池隆一の取り調べも途中から担当していたが、第一勧銀の宮崎元会長が自殺したことがわかり、東京拘置所で小池隆一に伝えたところ、小池は自責の念に駆られ号泣した。これ以降、小池は全面自供に転じたという。法務総合研究所教官から谷川恒太(32期)、谷川は「ゼネコン汚職」でゼネコンの押収物から「仙台市長」への贈賄を示すメモを見つけた。一連の事件では野村証券の酒巻社長の側近で株式取引のプロ、元常務を取り調べた。元常務は、小池隆一への「利益の付け替え」を現場に指示していた。谷川はのちに東京地検次席検事として「陸山会事件」の対応にあたった。こうした多くの「熊﨑軍団」がゼネコン汚職事件以来、再び顔を揃えた。 ■深夜まで記者対応 人事異動に伴い、熊﨑は捜査体制を立て直した。1997年4月からはこれまでの「機動班」を、「特殊・直告班」に組み入れ、「特殊・直告班」を「1班」と「2班」に分けることにした。その「1班」で「野村・第一勧銀・総会屋事件」を統括する副部長は、泉井事件に続いて笠間治雄が担った。「2班」の副部長・山本修三は当面「大和証券」など捜査にあたり、のちに笠間の「1班」引き継いで「大蔵省汚職」の陣頭指揮を執った。 副部長以下は事件全体の「主任検事」に井内顕策、「総会屋」の最大の資金源となった「第一勧銀捜査班」の班長に大鶴基成を据えた。加えて、東京高検管内の地検からの応援検事を30人を投入し、証拠物の分析と参考人の取り調べを担当させた。さらに野村証券が国会議員などの特別顧客、VIP口座を優遇していた実態を調べるために、「SEC」から帰任した粂原研二を班長とする「政界ルート特命班」を設けた。
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