「総会屋事件の主任検事をやってもらうからな」平成事件史:戦後最大の総会屋事件(6) 「最強」捜査機関の実像
井内の人事発令は1997年4月だったが、熊﨑は1か月以上も前から井内にこう告げていた。 「泉井事件の次は野村証券だ。主任検事をやってもらうからな」 このとき井内は、まだ法務総合研究所第一部の教官として、検事の研修など日常業務があったため、密かに隣の庁舎内にある特捜部に出向いて、捜査資料を受け取り、休日などを利用して自宅の麹町の官舎で資料に目を通した。 また4月から新たに「野村捜査班」に加わる大鶴基成や八木宏幸らの検事にも事前に読み込んでもらうため、自分で捜査資料のコピーを取って渡していたという。 「法務総合研究所の他の教官や部長らに気付かれて、捜査情報が万一漏れないよう保秘に大分苦労した」(井内主任検事・現弁護士) このときの人事異動では井内以外にも1993年の「ゼネコン汚職」で熊﨑のもとにいた多くの検事が特捜部に戻ってきた。東京高検から山本修三(28期)、山本は「リクルート事件」の「熊﨑班」で労働省、政界ルートを担当、リクルート社の幹部から半年かけて贈賄の供述を引き出した他、「共和汚職事件」では自民党宮沢派事務総長の衆院議員、阿部文男逮捕の端緒をつかむなど、食いついたら離さない「スッポンの山本」と言われていた。普段は「ヤマシュウ」の愛称で呼ばれ、一連の事件では「大蔵省接待汚職」の陣頭指揮を執った。 大分地検次席から大鶴基成(32期)。大鶴は私学が多い特捜部で東大卒、「ゼネコン汚職」で大物茨城県知事の竹内藤男の取り調べを担当した。「総会屋事件」では第一勧銀ルート班を率いて、奥田正司元会長を取り調べ、「大蔵接待汚職」では金融機関の「MOF担」から大蔵省金融検査官への過剰接待などを解明した。その後、特捜部副部長として自民党橋本派を舞台にした「日歯連ヤミ献金事件」、特捜部長時代には「ライブドア粉飾決算」「村上ファンド事件」などを手掛けた。「陸山会事件」では同期の谷川恒太(32期)の後任の東京地検次席検事として「陸山会事件」の対応にあたった。最高検公判部長を経て退官後はカルロス・ゴーンの弁護人も務めた。
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