【昭和の大相撲】若乃花、水入り、取り直し…栃錦と9分超え熱戦…午前2時から朝稽古「土俵の鬼」…昭和33年初場所プレーバック
2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の大相撲名勝負を振り返る。 * * * 昭和33年に現行の年6場所制が定着した。新年から相撲ファンを沸かせたのが14日目、横綱・栃錦―大関の初代・若乃花の一番だった。両者2敗でトップ。立ち合いでともに得意の左を差し、がっぷり四つとなった。若乃花が上手投げ、栃錦がつりを仕掛けるが、2人とも堅守で決まらない。動きが止まり、5分4秒が経過した。 水入り後、若乃花が上手投げを繰り返すが、栃錦はこらえる。4分5秒、今度は一番後の取り直しとなった。その決着は1秒6の一瞬。栃錦が左から出てきたところを、若乃花は右に変わり、相手の左を小手に巻いて投げ勝った。計9分10秒余りの大熱戦に、熱狂した人々が勝者を取り囲んだ。 2敗を守った若乃花は千秋楽でも若前田に勝ち、2度目の優勝。場所後、横綱に昇進した。当時、師匠の花籠親方(元幕内・大ノ海)が報知新聞に手記を寄せている。その中で「三段目のころまでは、稽古場には午前2時にすでに現れていた。遅くなると、稽古ができなくなってしまう。若は稽古場にチョウチンをつけて待っていたことが、たびたびあった。“相撲根性”というものが、あったのだ」とその稽古熱心さが若乃花を作り上げたと記している。 さらに昭和31年秋場所前、長男が、ちゃんこ鍋をひっくり返してやけどで亡くなったことにも触れ、「彼は悲しいとも苦しいとも何も言わなかった。ただ黙って遺骨を胸にしっかり抱いて病院から家に帰っていった」と述懐している。 真っすぐに、相撲道に人生をささげた姿から「土俵の鬼」と呼ばれた。横綱昇進後は栃錦とともに「栃若時代」を築き、通算10度の賜杯を抱いた。圧倒的な人気を集め、今もなお伝説的な横綱として尊敬を集めている。(久浦 真一)
報知新聞社