東大→トヨタ→住所不定無職から「人口4000人の町」で起業。「この世界はロジカルに解決できることばかりじゃない」
「お金を稼ぐこと」にリアリティを持ちたかった
トヨタ入社後は人事部に配属され、会社役員のサポートや所属する社員たちを支える仕事に従事。修理のプロフェッショナルから自動運転の研究をしていた人まで、さまざまなバックグラウンドの人が対等にコミュニケーションを取りながら働くトヨタは、成田にとって面白くもあり、居心地の良い職場だった。 6年間勤務したあと海外勤務の希望を出し、ブラジル支社に駐在。よりグローバルな環境で人間の多様さや豊かさに触れながら、多くの経験を積んだ。転機を迎えたのは、「アマゾン川で30歳を迎えたとき」だ。 「経営者になって何かしらの旗を立てて、人からお金をいただくことの価値を早めに経験しておかないといけないんじゃないか、と思ったんですよね。海外に駐在していると特別手当ももらえるし、自分自身は大したアウトプットもしていないのに“こんなにお金をいただいていいんだろうか?”と考えることもありました。 働いてお金を稼ぐことに対するリアリティをもっと持ちたかったし、現場感も欲していた。それで、30代のうちに起業しよう、とそのときに決めたんです」 決めてからの行動は早かった。2018年7月6日の30歳の誕生日に決意し、8月15日には上司に退職の意向を報告。「365日のうち、360日は会社メンバーとお酒を酌み交わしていた」ほど、トヨタやそこで働く人たちのことが好きだった成田からの急な報告は、上層部も寝耳に水だっただろう。しかしそれほど、「起業」という選択肢は成田を大きく突き動かした。
1年間で1000人に会い、自分のやるべきことを探す
「その後は9月末に帰国して、 “住所不定無職”になりました。東京で友人や知人に会って今後の相談をしたり、面白そうなビジネスイベントを見つけては参加してみたり……ざっと年間1000人くらいに会いましたね」 自分には何ができるのかを模索し、とにかくアポイントを取っては人に会う日々。そんなとき、トヨタ時代の先輩に誘われた会合で、岡山県西粟倉(にしあわくら)村にてローカルベンチャー育成事業を手掛けるエーゼロのCEO、牧大介さんに出会う。 「“いま、北海道の厚真町でローカルベンチャースクールを開校しているのだけど、参加してみない?”とお声掛けいただいたんです。参加するにはビジネスプランの企画書を出さねばならず、締め切りはすでに1週間後に迫っていたのですが、地域にどんな課題があるかと考えて企画書を書いて出したところ、2019年の4月1日に採択されたんです」 採択後は故郷である千歳市の隣、厚真町に移住し、ローカルベンチャースクールのプログラムに参加。当時出した企画書が、困っている人と助ける人のマッチングサービス『ミーツ』の原型になっている。 「実はそれまでも、東京で野心はあるけどお金がない若者と、お金と時間があるベテラン高齢者をつなげる〈ヤンゲスト〉や、北海道で挑戦したい若者がプレゼンしたことに対して応援者がアシストする〈ほっとけないどう〉など、人と人をつなげるようなコミュニティを作っていたんですよね」 成田は改めて、若者と高齢者、資産がある者とない者など、分断された両者をかき混ぜるプロジェクトやプロダクトを作ることが得意だということに気づく。そこで「かき混ぜる」道具である「マドラー」を社名に採用し、過疎地×テクノロジーや、ビジネス×ソーシャルなど、一見分断しているように見えるものをかき混ぜて価値を生み出す、さまざまなプロジェクトを手掛けていく。ミーツもそのうちの一つだ。