菅義偉氏「派閥問題」で沈む今の自民党に思うこと 完全無派閥の前首相が国民の自民党離れに危機感
同時に、「自由で開かれたインド太平洋」構想を2016年8月に政府の外交方針として提唱された。かつての日本の政治家で、これだけ世界の全体像を考えて外交・安全保障に言及した人はいなかったと思います。米国や多くの同志の国と一緒になって推進するという一つの方向性を示した。実際にそれを実行していくために、日米豪印のクアッド(QUAD)という枠組みを造られた。外交・安全保障も含めて、偉大な指導者だったと私は思っています。
塩田:以前のインタビューで、「2007年の第1次安倍内閣の終結から5年が過ぎた2012年の8月15日に安倍さんと会って、『総裁選に出馬してもう1回、政権を』と懸命に説得した」という舞台裏をお聞きしました。 菅:第1次政権のとき、安倍さんは病気で退陣され、入院・療養されました。しかし、私はこれだけ外交・安全保障、内政も含めて指導力のある改革意欲の強い政治家はいないと思っていました。そのときから、日本のために、いつか、もう一度、安倍政権を復活させるチャンスを狙っていました。
塩田:2012年の夏は民主党政権で、野田佳彦首相が6月15日に消費税増税について民主党・自民党・公明党の3党合意に踏み切り、26日に衆議院で増税法案を可決させました。その後、参議院での採決を前に、8月8日に野田首相は当時の谷垣禎一自民党総裁と会談し、そこで「近いうちに国民の信を問う」と述べました。 菅:その年の8月、共同通信の世論調査が出たんです。今でも鮮明に記憶していますが、安倍さんは本命と言われた石破茂さん(後に自民党幹事長)、石原伸晃さん(当時、幹事長)に次いで、あまり差のない3番手でした。その数字を見て、安倍さんが総裁選に出れば、戦える、勝てる、と思いました。それで、そこから自信を持って安倍さんに出馬を勧め、口説き落としたのが8月15日でした。
塩田:安倍政権の取り組みについて、政権発足時の株価の話が出ましたが、日経平均株価の8300円割れから11年8カ月余りが過ぎた今年の2月22日、1989年12月の記録を34年ぶりに更新する史上最高値が出て、その後、終値で4万円の大台も突破しました。現在の株高の要因については、いろいろな見解がありますが、長期的に見て、12年前から取り組んできたアベノミクスの成果という面も大きいとお考えですか。 菅:もちろん私はそう思っています。アベノミクスについては、いろいろな意見がありますが、デフレから脱却する、雇用を生み出すということに、安倍総理は自信を持って政策を進め、結果を出したと思いますし、私も全面でバックアップさせてもらいました。