成瀬國晴さん 自らのイラストで「集団疎開」の体験語る
成瀬國晴さん 自らのイラストで「集団疎開」の体験語る THEPAGE大阪 撮影:岡村雅之
大阪市中央区のピースおおさか(大阪国際平和センター)でこのほど、終戦の日平和祈念事業「講演会と歌で検証する『戦争』と『平和』」が開かれ、中高年世代を中心に多くの参加者が詰めかけた。学童集団疎開の体験や、戦時中に歌われた歌謡曲などをテーマに、出演者と観客が一体となって戦争と平和に思いをはせた。
集団疎開へ向かうものの最初は遠足気分
2部構成で、作詞家もず唱平さんがナビゲーターを務めた。1部では、テレビ番組「ノックは無用!」の番組セットのイラストなどで知られる、イラストレーターの成瀬國晴さんが「71年前の夏休み」と題して講演した。 成瀬さんは1936年大阪市生まれ。44年8月31日、大阪・ミナミの市立精華国民学校3年生だった成瀬さんは、学童集団疎開のため、学友たちと滋賀県愛知郡東押立村(現東近江市)へ向かった。 学童集団疎開は大阪や東京など都市部で暮らす子どもたちを米軍の空襲から守るため、地方へ集団で移住させた国策で、翌45年8月の終戦直後まで続いた。成瀬さんは1年間におよぶ集団疎開の体験をもとに77点のイラストを描き、イラスト集「時空の旅」を刊行。集団疎開のイラストを手掛かりにして、子どもたちが体験した戦時中の暮らしぶりなどを伝える活動に力を注ぐ。 成瀬さんの基本姿勢は「肩の力を抜いて」「ありのままに描く」。子どもたちは市電と疎開学童専用列車を乗り継いで疎開先を目指したが、成瀬さんは当日の様子を描写したイラストを紹介しながら「遠足気分だった」と話す。 「3年生の子どもだから、本土決戦を知らない。戦争のすごさにも気づいていない。ほら、まだ笑っているでしょう? みんな遠足気分でした」(成瀬さん)
安全な疎開先にも「すぐそこまで戦争が来ていた」
宿舎は農村のお寺。地域住民の慈愛を受けるものの、大阪の都会っ子にとって、いなか暮らしは驚きの連続。農家の五右衛門風呂、戸外にある暗いトイレ、毒虫やシラミの洗礼など、初物尽くしに戸惑う。 やがて遠足気分が薄れ、家族が恋しくなる。最大の悩みはひもじさ。農村とはいえ、徐々に食料が不足してくる。イナゴ、ドジョウから、松かさの中にある小さな種子まで、何でも食べるように。ある日、男の先生がカエル釣り大会をやると言い出し、子どもたちはみんな喜んだ。 「ところが、そこらにいるトノサマガエルを捕まえて、夕食のおかずにするという。先生は料理が上手で、ミナミの有名レストランのメニューにある食用ガエルの天ぷら風に揚げて食べさせてくれた」(成瀬さん) 食い倒れの大阪らしいエピソードといえようか。戦局は日増しに悪化し、ついに疎開先にも敵機グラマンが飛来。迎撃に出た戦闘機隼との間で空中戦が展開され、両機が激突し、破片が宿舎の間近に落下する。 「僕らは朝食中でしたが、ものすごい衝撃を感じた。落下したのはグラマンのエンジンだった。空中戦のイラストを描いているうちに初めて分かったが、僕らはえらいところに疎開していたなあと改めて実感した。すぐそこまで戦争が来ていた」(成瀬さん) 成瀬さんは93年、お世話になった地元の人たちへの感謝を込め、疎開した仲間たちと桜の苗木を記念植樹。今では苗木が大きく成長し、毎春きれいな花を咲かせていることを報告。戦争と平和を考え続けることの重要さをさりげなく訴えていた。