「糖尿病で右腕切断」 “ピッカリ投法”の佐野慈紀が明かした凄絶闘病生活 「ブログは強がりだけど、読者にエールを」
打者を惑わすために、わざとキャップを落としてはげた頭をさらす“ピッカリ投法”で人気を博した元プロ野球選手の佐野慈紀(56)が、糖尿病による感染症で右腕を切断したという。陽気なキャラクターからはうかがい知れない苦悩と、いまだ消えることがない野球への熱き思いを聞いた。 【写真を見る】切断した右腕を見せる佐野氏 現在の姿を公開 ***
佐野は近畿大呉工学部から1991年、ドラフト3位で近鉄に入団。すぐに頭角を現し、96年には中継ぎ投手として初の1億円プレーヤーとなった。 「現役時代から頭髪が薄かった佐野の代名詞は“ピッカリ投法”でしたが、これはあくまで偶然の産物で、普段から多用していたわけではありません。ただし、明るい性格の彼はイベントやバラエティー番組に出演する際、自ら進んでこれを披露して人気を博したのです」(スポーツ紙記者)
豪快な遊び人として伝説に
近鉄時代の佐野は、1年先に入団していた同僚の野茂英雄(55)と親友だったことでも知られる。 「年齢が同じで共に投手だった二人はお互いに良き理解者でした。佐野は2000年に中日に移籍して以降、米独立リーグ、オリックスと球団を渡り歩き、03年に引退します。その後は05年まで、野茂が設立した社会人野球チームで理事を務めました」(同) また、若き頃は豪快な遊び人としても鳴らした。きっぷのいいその遊びぶりは、今でも伝説として語り継がれている。 引退後も解説者や独立リーグの役員として野球と関わり続けていた佐野は、39歳の若さで糖尿病を患ってしまう。以降、病魔と闘ってきたが今年の5月1日、感染症により右腕を切断するまでに至ったという。
「腕ごと切断」に至るまで
佐野本人に聞くと、 「糖尿病を発症した後、8年前からインスリン注射を打つようになり、これまで何度も心不全を起こしてきました。現在は人工透析を受けています」 昨年4月に合併症で重症下肢虚血を患い、右足中指を切断。そこから入院生活が続いているそうだ。 「昨年12月、感染症が足から右手指に転移し、指先を2本切断しました。しかし、じきに右手指の周りも壊疽が生じ、しまいには右腕にまで感染症が転移してしまい、腕ごと切断せざるを得なくなったのです」 今は日々、切断した箇所を洗浄して手術痕が閉じるのを待ちながら、 「上手に歩くためのリハビリに励んでいます。右腕や右足中指がなくなってしまったことに加えて、今年1月からこれもやはり糖尿病の合併症で、心機能が衰える心臓弁膜症を患い、運動が制限されてきたからです。いずれ手術をすると思いますが、とりあえずはバランス感覚や脚力を取り戻すほうが優先です」