二十歳のとき、何をしていたか?/小泉今日子 アイドルのイメージを変える。そんな思いを胸に試行錯誤した、ひとりの少女の胸中とは?
オルタナティブなアイドル道を歩む。
1985年11月、日本のアイドル史を揺るがすひとつの楽曲が誕生した。筒美京平さんが作曲、秋元康さんが作詞を手掛けたその曲名は「なんてったってアイドル」。なんせこの曲、絶頂期のアイドル自身が「私はアイドル~」と歌い上げるのだ。それがどれほどエポックメイキングなことかは、リアルタイムで知らずとも想像に難くないだろう。歌っていたのは、当時19歳と9か月の小泉今日子さん。本人としては、どんな気持ちでこの変化球的な曲と向き合っていたのか。 【取材メモ】数々の伝説的クリエイターと仕事をしてきた小泉さん。写真集『小泉記念鑑』の編集を務めた、スーパーエディターこと故・秋山道男さんもその一人。 「『あぁ……』っていう冷めた気持ちがありましたね(笑)。『わかるよ、わかるけど、悪ふざけで終わらないようにしてね、大人のみなさん』って。とはいえ、筒美さんのメロディもアレンジもロックっぽくて素晴らしいし、『他に歌える人はいないかもね』ってところで納得してやってたかな」 結果として大ヒットとなった同曲の裏側に、そんなドラマがあったとは驚きだ。しかし、それ以上に興味深いのは、「他に歌える人はいないかもね」という自己認識。どうやらそれは、自身が王道のアイドルとは違う道を歩んできたという自覚に由来するようだ。 「アイドルになったばかりの頃、アイドルのそもそもの意味を知りたくて辞書を引いたら、『偶像』って書いてあったんです。それで『なるほど、アイドルってジャンルじゃないんだ。ってことは、何でもありだよね?』って思って。それから、みんなが持っているアイドルというイメージを変えていこうと考えたんです。当時はみんな同じような髪型だったのに対して、『これおかしくない?』って、ショートカットにしてみたり。アイドルというものを壊していくというより、いろんな道を開いていきたいなと。後輩のためにもね。ファンの方はそういう私の姿勢を知っていたと思うんですけど、『なんてったってアイドル』は、今まで私に興味がなかった人にも、それをアピールできた感覚はありましたね」 かくして、誰もが認める〝オルタナティブ・アイドル〟となった小泉さんは、以後その路線をさらに邁進していく。とりわけ注目に値するのは、近田春夫さんがプロデュースを手掛けた1989年リリースの『KOIZUMI IN THE HOUSE』だ。タイトルからも察せられるがごとく全編にわたりハウスが取り入れられた一枚だが、アイドルがハウスなんて前代未聞の時代である。 「新しいアルバムを作るってときに、スタッフさんに『誰にプロデュースしてほしい?』って聞かれて、近田春夫さんの名前を挙げたのが始まりです。当時は小暮徹さんの家に娘のように入り浸って、本やレコードをいろいろ教えてもらっていたんですね。近田さんのやっていたハルヲフォンを知ったのも、たぶん小暮さんの家だったんじゃないかな。それで近田さんと一緒に仕事がしてみたいなって思うようになって。小暮さんたちの世代が影響を受けたものを、私の世代でも引き継ぎたいというんですかね。 だけど、いざ近田さんにお会いしたら『俺、今はハウスしか興味ないから』って言うんですよ(笑)。『だったら、ハウスで』ということでできたのが、『KOIZUMI IN THE HOUSE』。『ハウスをお茶の間に』ってコピーは、編集者の川勝正幸さんが作ってくれました。シングルカットされた『Fade Out』は、今でもクラブでかけてくれるDJがいるんですよ。本当にすごい財産だなと思います」