2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか
前年度に落ちた理由を「慢心」と心に刻んだ田中さんの9月以降の生活は、2年連続で失敗した共通1次の勉強に真面目に取り組み、本番に備えていました。 「駿台の実戦模試を11月、12月と受けてどちらもA判定を取れたのですが、慢心することなくやり続けました。この年から共通1次は1000点満点が800点満点に変更になったのですが、ようやく720/800点と9割を取れました。 共通1次試験が終わってからもガンガン勉強して、東大受験本番の世界史・地理も、問題用紙で指定された箇条書きのルールを確認し、試験時間が終わるまでガンガン書き進めました。2浪目の合格発表を東大の駒場キャンパスで見て、私の受験番号11058を確認した瞬間、『よし!』と思いました」
こうして彼は2浪の末に、念願の東京大学文科一類に合格することができたのです。 ■浪人は社会勉強の場所だった 2浪で憧れの東京大学に入ることができた田中さん。浪人してよかったことを聞くと、「どこまでも警戒して生きるようになったこと」、頑張れた理由については「屈辱を晴らすため」と答えてくれました。 「1浪目の失敗は自分の体たらくと慢心が招いたものだったので、自分のことを信用せず、気を引き締めて生きていかなくてはいけないと思えるようになりました。
悔しい思いを晴らすための2浪でしたが、早稲田でドイツ語を学んだり、ルネサンスの授業を受けたりしたことが、世界史の深い理解につながりましたし、早稲田で勉強できたことも、とてもよかったなと思いますね。2浪したことに悔いはありません」 1987年に入った東大を、1991年にストレートで卒業した田中さんは、某上場企業に入り、現在もその会社で勤務しています。 浪人時代に得た「文章を最後まで読む」という教訓は、社会人になってからも「人の言うことは最後まで聞く」という形で生きているそうです。
「浪人期間の受験勉強でやった正誤判定をする作業は、今でも他社の嘘を見抜くという作業につながっていると思います。浪人生は、ぬくぬくと、のほほんと生きていると思われているかもしれませんが、私にとっては1つの社会勉強の場所でした。世間から離れた浪人という立場だからこそ、世間をしっかり見れるんです。浪人は社会の一部。全然恥ずかしいことではないので、胸を張って生きていいと思います」 今でも東大の地理の過去問を解いたり、新たに物理の参考書を買うなどして、勉強を続けている田中さんの人生からは、不注意が招いた失敗さえもプラスに変えて、自分の人生に生かすことができるのだということを学ばせていただきました。
田中さんの浪人生活の教訓:大きな失敗をした後は、注意深く生きることができるようになる
濱井 正吾 :教育系ライター