旅行作家が忘れられない「朝ごはんが美味しい宿」絶妙なバランスに美学を感じる素朴で贅沢な朝食
夜の食事は宿の外でいただくこともあるかもしれませんが、朝は“宿で朝ごはん”というのが旅の定石ではないでしょうか。前夜の豪華な夕食と、好きなものを選ぶ昼食、その間に挟まれる朝食の理想形とは…。今回は、旅行作家の山口由美さんに、朝食もおいしい、おすすめの宿を教えていただきました。
金宇館(かなうかん)[長野・美ヶ原温泉]素朴で控えめがちょうどいい。絶妙なバランスの朝ごはん
A:浅川さんの安曇野産減農薬コシヒカリ B:「大久保醸造店」の玄米味噌で作った味噌汁 芹と大根、揚げ C:「洞沢豆腐店」の豆乳を使った自家製豆腐のべっこうあんかけ D:筍とわかめの煮物 E:にしんの旨煮 F:長野・山形村の長芋で作ったとろろ汁 G:山うどのきんぴら H:スナップえんどうの胡麻酢かけ I:自家製の浅漬け、たくあん漬け、梅の紫蘇漬け
素朴で控えめがちょうどいい。絶妙なバランスの朝ごはん
もとは日帰り客メインの旅館であった同館を、四代目主人の金宇正嗣さんが徐々に手を入れながら、2020年春にリニューアルオープン。客室から料理、温泉に至るまですべてに「簡素の美」を貫き、料理も主人自ら作ります。朝食の献立は、宿に約150年前から伝わる6種の漆器に、何を盛り付けると美しいかを考えて組み立てるそう。長野では知らない人がいない「大久保醸造店」の味噌と醬油を味つけの基礎に、できるだけ近隣の食材を素朴に味わってもらうことが信条です。 「まだこういう旅館があるんですね、とお客さまからお声をいただきます。普遍的な心地よさを大切に、次の一世紀まで残していきたいですね」と金宇さん。 〈左上〉長野の味を支える「大久保醸造店」の醬油と味噌を金宇館で愛用。〈左下〉主人の金宇さんがお吸い物に使って感動した薄口醬油「紫大尽」ほか、濃口、再仕込みなど多彩に展開。〈右〉昔ながらの木桶の醬油蔵。
思い出すのは宿の美学に符合した朝食 文=山口由美(旅行作家)
日常生活で朝食に和食を食べる習慣のない私にとって、宿の和朝食は、非日常であり、新鮮な体験だ。しかし、だからといって、品数の多い朝食がいいわけでもない。そうした宿では、当然のことながら、夕食にもご馳走が供される。贅沢さにおいて朝食が夕食を上回ることはなく、結果、朝食の記憶は希薄なものになってしまう。 忘れがたい朝食とは、むしろシンプルで、ほどよく引き算されたものだと思う。和朝食においては、美味しくご飯が頂けるメニューが一番ではないだろうか。フランスの美食の宿で、焼きたてのバゲットとクロワッサンに上質なバターと果実感のあるコンフィチュールを添えた朝食が、どうにも忘れられないのと同じである。 その意味で、忘れられないのが、長野県・美ヶ原温泉の「金宇館」の朝食だ。シンプルでありながら、ご飯のお供ばかりでは決してなく、お浸しや煮物などの野菜料理が充実していて、量も食べ応えがある。下処理に時間のかかる根菜や葉物をたっぷり使うのは、地味なようでいて、実は贅沢なことである。 〈左〉昭和3年創業当時のままの庭。松本城の石垣にも使われている山辺の石を使用している。別館(※改装中)に向かう渡り廊下も風情たっぷり。〈右〉「御母家(おぼけ)の湯」と名付けられた温泉。昔ながらの湯屋の雰囲気を大切に改装した。