100回目のラグビー早明戦で浮かんだ「もしも」 敗軍の将の言葉に感じた歴史と矜持「3点差でPKなら…」
関東大学ラグビー対抗戦、敗れた明大・神鳥裕之監督が語った言葉とは
関東大学ラグビー対抗戦、伝統の早明戦が12月1日に行われ、6戦全勝の早大が5勝1敗の明大を27-24で破り、6年ぶり24度目の対抗戦優勝を飾った。4万544人が沸いた100回目の早明戦。敗れた明大・神鳥裕之監督から試合後、100回分の歴史と矜持を感じさせる言葉があった。(取材・文=吉田 宏) ◇ ◇ ◇ 100回目の伝統の戦い。そして優勝決定戦という味付けの早明戦。戦前の成績を覆すような80分間のボールゲームについては、多くの新聞記者諸兄は熱筆をふるっているはずなので、皆さん目を通していただいただろう。早稲田がスピードでトライを奪えば、明治がモールでやり返す。往年の強みも感じさせた一方で、勝者がスクラムを押し込み、敗者が華麗なBKのステップワークで攻めるなど、伝統と進化が交差するセンテニアル・マッチとなった。 その中で、戦い終えた敗軍の将が語った言葉が、この大学生による80分が積み上げてきた歴史と矜持をあらためて感じさせた。会見も終え、すこし“苦味”を噛みしめながらも笑顔でロッカーから出てきた明治・神鳥裕之監督が語り出した。 「ああいうシチュエーションは想定していたんですよ。3点差とかでPKを貰ったら、もうトライを獲りに行かないといけないと。そこは(自分が)メッセージを出さなくても、彼らはいきますからね」 答えが先になったが、こんな質問をしていた。 「もし神鳥監督がキャプテンだったら、3点を追う残り数分の攻撃で、敵陣に攻め込んで相手が反則したら同点PGという選択肢はあったのか」 実は答えは、事前にほぼ察することが出来た。「勝ちに行く」と。だが、敢えてチームの声を聞きたかった。あれだけの熱戦を80分間発し続け、痛恨の思いに打ちひしがれた選手たちに、こんな興味本位のみの「タラレバ」は失礼だという思いがある中で、オフタイムには杯も交わす指揮官が取材エリア近くに来てくれたのを幸いにぶつけてみたのだが、間髪入れず――くらいのタイミングだろうか、即座に明快な答えが返ってきた。 こんな愚問をしたい衝動がふつふつと湧いてきたのは、先にも触れた終盤の攻防の中だった。途中出場のNo8藤井達也(2年、東福岡)が後半38分に奪ったトライ(ゴール)で24-27と迫った明治が、最後の意地を賭けて猛攻を始めた。実は、ここから逆転勝ちを遂げたとしても、勝ち点、得失点差などで、紫紺のジャージーの逆転“1位”というストーリーは、ほぼ断たれていた。 一応の注釈を入れるが、対抗戦(関東大学対抗戦グループ)には、理念上は「優勝」や「順位」というものを争ってこなかった。本来の趣旨は、大学ラグビー部1校同士の試合(定期戦)の集合体の総称が「対抗戦」であり、順位や優勝を争うものではないというもの。順位をつけないという考え方が、かくも長きに渡る関東大学リーグ戦グループと裾を分かって来た1つの由縁だ。 その一方で、対抗戦には2つ目の“主旨”が歴史の中で発生している。大学日本一を争う全国大学選手権の出場および、そのシード順位を決める戦いという役割だ。対抗戦、リーグ戦が“別居”したのが1967年。選手権が生まれたのは遡っての64年。そんな歴史のなかで、パンデミック時には対抗戦で勝ち点制も導入されたこともあり「大学選手権の予選」という位置づけが、随分と重きを増しているのは否定のしようがない。 流石にこのご時世、順位を決めないという考え方も、当の学生ですらしっくりこないものにもなろうとしている。今回の100回目の早明戦も、日本ラグビーを牽引してきた名門同士の意地の張り合いという関心と共に、選手権でどのチームがどの櫓に入るのかという興味で見守るファンも少なからずいたはずだ。