長嶋氏効果で立教大が59年ぶりの日本一!世代を越えた変わらぬ魂がそこに
立教大に語りつがれる長嶋伝説がある。 片岡さんに昔話を少し教えてもらった。 当時の砂押監督が、長嶋氏に課したと言われる伝説の真夜中のノックは本当にあったという。 「砂押監督は、夜中に、ぱっと『長嶋のここをこうすれば打てる!』『ここを鍛えれば守りがうまくなる』とひらめくと、真夜中であろうが何時であろうが、呼び出したり寮に来たりした。ナイター設備などない時代。ボールに石灰をまぶして月灯りの下で本当に真夜中にノックした。慣れてくると照明がなくても、本当にそのボールが見えるようになるもの。そしていつも特訓を課せられるのは長嶋さん一人だけだった」 砂押監督は、革靴をスリッパにしたようなものをはいていた。ぺたぺたと大きな音がするので寮の廊下を歩くその音で来寮がわかったという。長嶋氏は、夜中に何度も砂押監督の自宅にも呼び出された。 電車がない時間帯には30分かけて早足で走っていく。「長嶋さんは『一人で行くのが嫌だからつきあってくれ』と。私は何度も、監督の自宅へ行くのに同行した」。砂押監督の自宅につくと、長嶋氏はその庭で素振りを命じられた。手にまめができないように水でぬらした手袋をつけて振った。狭い庭では、一人が振るのが精一杯。延々と続く、その素振りを片岡さんは、ただ眺めていたという。 「殴る蹴るは当たり前。とにかくスパルタだった」 だが、その砂押監督の指導にたまりかねた上級生が排斥運動を起こす。学校の総長の交代劇とリンクして砂押監督が退陣。そこからチームは強くなり、連覇につながった。片岡さんら1年生は、排斥運動に参加しなかったことで、試合に出れなくなったが、当時の上級生の捕手が、エース、杉浦忠氏のあまりにも凄いボールをうまく捕球することができず、杉浦氏が片岡さんを指名して試合に出れるようになった。 「砂押監督の厳しい指導が土台になったと思う。そこで力をつけていた選手が、監督が代わって、のびのびと打てるようになって優勝という結果につながった。それでも長嶋さんが最後の4年は、大スランプに陥った。マスコミがすごくてプレッシャーに負けたんだと思う。リーグの本塁打記録がかかっていて、なかなかでなかった。しかし、最終戦で打った。長嶋さんを象徴する1本。持っている人だった」 この日、長嶋氏も、その時代を「あの時は投打に渡ってよかった。杉浦もいたし、本屋敷もいたしね。投打に渡って非常にバランスがよかったですね」と、振り返った。 片岡さんが、のちにヤクルトのスカウト責任者となり、ミスターの長男、一茂氏を立教大からドラフト1位指名するのも、運命的なドラマだったのかもしれない。 長嶋氏の時代から半世紀以上の月日が流れた。