「銃で脅され性行為の詳細を繰り返し」…イランで人権を主張した女性の「悲惨すぎる末路」
耐えられない侮辱
またあるときは、尋問官がティッシュで鼻をかんで、それを床に捨てました。彼が言うには、女性はみんな、利用され、捨てられるだけの存在、まるでそのティッシュと同じだそうです。 尋問が朝から夜までずっと続くこともありました。尋問官は、私の前で昼食と夕食を食べるのです。同じ物が私にも与えられましたが、何も食べられませんでした。尋問官は常に私を脅します。「お前は自分の歯ほども髪が白くなるまで独房暮らしだ」と言います。 あるときなどこう言いました。 「お前の皮を剥いでやる。お前は絞首刑だ。お前の足の下の椅子を蹴っ飛ばすのはこの私だ」 「お前の祖母がお前の面倒をみにイランに来た。そいつもスパイだからもちろん逮捕したぞ」 「お前の祖母は死んだ」 私は祖母を言葉で言い表せないほど深く愛しています。祖母が死んだと聞かされた日、独房に戻って泣きどおしでした。祖母のために3、7、40日後の祈り(死者を弔うイスラム教の法要。死後3日、7日、40日におこなう)を唱えました。 またある日には、尋問官は「エルダー――私の6歳の息子――が重病で病院に運ばれた。腎臓移植が必要だ。できなければ死ぬぞ」と言うのです。 これには打ちのめされました。とても耐えられません。尋問官が取り上げた私の携帯電話には子どもたちの写真が保存してあります。尋問官はエルダーの写真をプリントアウトし、落書きをしました。胸から白いプラカードのようなものが、首にはロープのようなものがぶら下がっているのです。 その写真を手渡されて見たとき、吐き気がしました。私はその白い部分に文字を書くよう命令され、「恥知らず」という言葉を息子の胸に書かされました。その日以来、尋問のときには私の目に入るよう、ふたりの子どもの写真が必ず私の前に並べられるようになりました。
性行為の詳細を説明させられる
ある日、尋問官はこれからマシュハドに行くと言いました。私が理由を尋ねると、「お前の母親がお前の子どもを引き取りに来たので、捕まえてここに連れて来る」と答えました。信じてください、私は本当に母が独房に連れて来られると思ったのです。母の声が確かに聞こえたほどです。 尋問の内容は、私には一体何のことか分からないことばかりでした。分からないので何も書けません。尋問官は私の前に紙を置いて、私が子どものときから言葉を交わした男の子の名前を全部書けと言いました。一度など、尋問官のひとりが怒って銃を引き抜き、私を脅したこともありました。尋問の間、罵られ、侮辱され続けました。 私はカー氏との性関係について話すよう強要されました。一度や二度ではなく、何度も繰り返し、私たちの性行為の詳細を説明させられました。尋問はこの過程が特に厳しかったです。何度か私は尋問官にホテルへ連れて行かれ、そこで撮影されました。 彼らは私に着させるためのヒジャブとコートを持参していました。私は、どこの国の出身か明かさず、「別の国の女性」と名乗ったうえで、イラン・イスラム共和国の役人を誘惑して性交しようとした、と言わされました。 もしもイランの役人が私のような女に誘惑され、引っかかろうものなら、その瞬間から彼らは監視される、という警告を私の口から言わせたのです。私はこの自白を数回させられました。 携帯電話は逮捕時に取り上げられてしまいました。彼らはプライベートな写真を見て、そのことについて質問してきました。裁判官まで写真を見ていたので抗議しました。 『「無罪なのは知っている」…支離滅裂な尋問だけが繰り返されるイランの独房生活で「一番辛かったこと」』へ続く
ナルゲス・モハンマディ(イラン・イスラム共和国の人権活動家・ノーベル平和賞受賞者)