「困難に人は感謝する。なぜなら…」モイーズ・キーンはなぜ蘇ることができたのか。「本当に自分は強い」と語る理由【コラム】
ここ数年は優勝争いと無縁だったフィオレンティーナが、今季はここまで首位と勝ち点差3の4位につけている。その躍進の要因の一つにはモイーズ・キーンの復活が挙げられるだろう。昨季無得点だったこのイタリア人FWは、なぜ不死鳥のように蘇ったのか。幼少期から家族の将来を背負ってきたことで生まれた強靭なメンタルとは。(文:佐藤徳和)
●モイーズ・キーンが蘇った
それはまるで、リングの上で完膚なきまでに叩きのめされたボクサーが、不死鳥のように蘇り、相手をリングに沈め、奇跡の逆転KO劇を演じたかのようだ。 輝きを取り戻したのは、モイーズ・キーン。昨季、ユヴェントスで20試合に出場し、ゴールネットを揺らした数は“ゼロ”だった。脛骨の負傷で長期離脱を強いられ、出場機会もベンチスタートが多く限定的であったものとはいえ、ストライカーとしては、もはや失格の烙印を押されたようなものだろう。 ところが、フィオレンティーナに移籍した今季は一転して、公式戦16試合で13ゴールと完全に蘇った。11月にはセリエAの3試合で5ゴールをマークし、月間最優秀選手にも選出されるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。 リーグ戦だけでも得点ランキング3位の9得点を挙げており、ユーヴェのエース、ドゥシャン・ヴラホヴィッチの6得点を上回っている。しかも、セルビア代表FWはPKによるゴールが3つあるのに対して、イタリア代表FWは流れの中での得点のみだ。 第15節を終えて、ユーヴェは勝ち点27の6位と、ストライカーの不振も影響し、勝ち切れない試合が続く。9つの引き分けはリーグトップだ。 一方、花の都、フィレンツェのクラブは、1試合消化が少ないものの、暫定4位で首位アタランタとは勝ち点差3の4位と、誰もが予想しなかった優勝争いに絡んでいる。キーンの活躍なくして考えられない躍進だ。
●名門ユヴェントス加入までの経緯
モイーズは、大聖年の2000年2月28日、トリノからは約70kmの距離にあり、ミラノのとの中間地点にある町、ピエモンテ州ヴェルチェッリで生を受けた。Moiseの名は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など多くの宗教において、最も重要な預言者の一人とされるモーセのフランス語表記だ。 1990年にコートジボワールからイタリアに移民した両親の子で、5歳の時に両親の離婚により、母と2人の兄弟と共にヴェルチェッリから南に約60kmのアスティに転居した。幼い頃からカトリック教会に通い、路上やオラトーリオ(教会付属の児童施設)で、友人たちとサッカーに夢中になる日々を過ごした。 本人は現在も敬虔なカトリック信者であると明かしている。今でも、友人たちと草サッカーをやりたいと切望しているが、もちろんクラブから禁止されているため、今では叶わぬことだ。 7歳上の兄、ジョヴァンニが地元の有力クラブ、アスティに入団したことで、モイーズにも声が掛かる。7歳の時だった。その年齢でトリノのセレクションも通過。それから3年後、キーンの従兄弟、元コートジボワール代表のアブドゥライ・バンバの父の勧めもあり、ユヴェントスの門をくぐることとなった。 そして13歳の時に、寮生活をするために家族の元を離れている。モイーズは、その頃からすでに責任を背負って生きていた。