「困難に人は感謝する。なぜなら…」モイーズ・キーンはなぜ蘇ることができたのか。「本当に自分は強い」と語る理由【コラム】
●「少年たちが理解できないようなことを自分は経験してきた」
「サッカーをするために故郷を離れたけど、自分の将来が家族の未来にも関わるという自覚が、責任感につながった。母はたくさん働いていて、兄は遠くにいた。そして僕は、自分の家族を背負っていた。今もそうだけどね」 サッカーに情熱を捧げる、どこにでもいる子どもだったと自身は語るが、13歳で家族の未来を委ねられ、重圧の中で生きてきた子どもは多くはない。「少年たちが、理解できないようなことを自分は経験してきた。メンタル面では本当に自分は強い。サッカーの世界にプレッシャーなど存在しない」と語る。 移民の子で、両親の離婚もあり、幾多の困難を乗り越えてきた。昨季、ユーヴェで無得点に終わったことなど意に介することではなかったようだ。 ユーヴェ下部組織に入団してからは、着実に成長を遂げ、U-15からすべてのアンダー世代のイタリア代表に招集を受け、その名を次第にイタリア全土へ轟かせることとなる。 2016年11月19日には、ペスカーラを相手にし、マッシミリアーノ・アッレグリ監督によって、ピッチに送り出され、セリエAでデビューを飾る。16歳と9カ月の若さだった。翌年3月27日のボローニャ戦ではセリエA初ゴールをマーク。FKに体を投げ出して頭で突き刺したゴール。新星のゴールに多くのファンが、ユーヴェのバンディエラとなる逸材だと思い描いたことだろう。
●「困難に人は感謝するようになる。なぜなら…」
しかし、ヴェローナへのレンタル移籍を経て、ユーヴェに復帰した1年後の2019年夏には、エヴァートンに2750万ユーロ(約44億円)であっさりと売却されてしまう。20/21シーズンにレンタル移籍したパリ・サンジェルマン(PSG)では、リーグ戦でキャリアハイの13得点をマーク。キリアン・エンバペの27得点に次ぐチーム2位の成績を残すが、スター軍団のチームから関心を示されることはなかった。 エヴァートンでは、PSGの1年を挟み、2シーズンでプレーしたものの、輝かしい功績を残すことはできず、まさかのユーヴェ復帰となる。2800万ユーロ(約44億8000万円)での買い取りが義務付けられた2年間のレンタル移籍だった。 ところが、買い取りオプションが行使された復帰3年目の昨シーズンは、不発に終わり、シーズン終了後、1300万ユーロ(約20億8000万円)に500万ユーロ(約8億円)のボーナスが支払われる契約で、フィオレンティーナに放出された。 「もっとできるとは思っていたよ。それに、最後の1年は不運が続き、ケガもあって冷静さを失ってしまった。当時は本当に厳しかった。でも、後になってみると、その困難に人は感謝するようになる。なぜなら、もし同じようなことが再び起こった時に、どのように対応すべきか学ぶことができるからだ。 昨シーズンは自分にとって学びの一年だった。そして今、フィレンツェでコンディションは良い。みんなが自分を大切にしてくれて、自分もみんなを大切に思っている」と不振を極めた1年を過ごしたが、あくまで前向きに考えていることを強調している。