新体操の常識を覆し、「体重を減らす」から「増やす」指導へ──インターハイ常連校が取り組んできた、女子選手の体を守る「チームサポート」 #性のギモン
トレーニングも勉強会も、テーマを決めるのは橋爪さんだ。「チームサポート」の司令塔は指導者である橋爪さんで、上條さんと鈴木さんはそれぞれの専門を生かして脇を固める。それによって橋爪さんは、競技の指導に専念しやすくなる。 橋爪さんが「チームサポート」に取り組み始めたのは2012年のこと。当時はこのような体制をとっている学校スポーツの現場は見当たらなかった。 先駆的な取り組みの背景には、指導者として「生徒を選手生命の危機にさらしてしまった」という反省と、「指導の現場に他人を入れたくない」という葛藤があった。
厳しい体重制限、隠れて買い食いする生徒たち
新体操やフィギュアスケートなどの審美系スポーツや、陸上の長距離種目などの持久系スポーツで、無月経になるアスリートが多いという研究報告がある。無月経とは、妊娠以外で3カ月以上、月経がないことを指す。また、18歳を迎えても初経がないことを原発性無月経という。 無月経は、痛みや不快感、わずらわしさがないからこそ危機感を覚えにくい。むしろ練習しやすく、「引退すれば無月経は治る」と軽視している選手や指導者は少なくない。かつて橋爪さんも、「新体操は、減量するのが当たり前」という文化の中で、厳しい練習とともに、徹底した減量を生徒に課した指導者の一人だった。 現役引退後の1986年、地元の長野県で公立高校の教員になり、新体操部の顧問になった。1991年には地域にクラブチームを立ち上げ、ジュニア期から高校までの一貫指導を開始。この強化構造と厳しい指導によって、長野県の新体操を全国レベルに押し上げた。 2003年に伊那西高校に転職。新体操部の顧問になり、「今まで以上の結果を出す」と意気込んだ。体育館の近くに自腹で一軒家を借りて寮とし、練習指導のみならず、栄養管理、生活指導までを一人で担った。「一言でいうと、鬼でした」と本人が話すほど、常に生徒を叱っていた記憶しかないという。
高くジャンプし、演技を美しく見せるためには、体重は軽ければ軽いほどいいというのが新体操の常識だった。橋爪さんは、見た目で各生徒の目標体重を決め、朝・昼・練習前後の1日4回、体重を計測させた。目標体重を切らないと試合に出場させないというルールも徹底。達成できない生徒は、平日16時半~21時半の練習時間以外に、寮の周りを必死に走って体を絞った。 試合当日の朝5時に電話が鳴り、生徒の母親から「どうしてもあと300グラム落ちないんです。娘を試合に連れていっていただけないでしょうか」と頼み込まれたこともあった。橋爪さんは、「300グラムなら、出発の7時までに努力で落ちます」とはねのけた。 「勝つことが目標でした。数百グラムで勝敗が変わる厳しい世界だと思っていたし、減量目標を達成することが本番の演技にもつながると思っていました。どんなに苦しくても、勝たせれば、結果さえ出せれば、それが生徒たちの幸せだと信じて疑わなかったのです」 インターハイに出場する力はついた。しかし、目標の日本一どころか、8位入賞にも届かない年が続いた。それどころか、隠れて夜中にコンビニで買い食いする生徒や、炊飯器を寮の部屋に持ち込んでご飯を炊いて食べる生徒が現れた。部員の半数がまったく痩せないという状況に陥ったこともあった。生徒たちをサウナに連れていくなどして、強制的に7~8キロ落とすこともあったという。 「私はここまでやっているのになぜこんな状態になるんだろう……と、最初は生徒たちのせいにしていました。でも、もしかしたら自分に原因があるのでは、と思い始めたのです」