「変わり続ける老舗」 220周年を迎えたミツカンの変革と挑戦
世界で100年以上歴史ある会社の*過半数は、日本が占めていることをご存じだろうか。中でも200年以上続く会社はその65%以上が日本で創業されたものである。スティーブ・ジョブズがAppleを創業した際、歴史ある偉大な会社を築くために、度々日本に訪問し、日本企業を調査していたことは有名な話である。 今回は220年続く、歴史ある企業ミツカンホールディングス代表取締役社長である中埜氏に、企業存続の秘訣と世界展開への野望を取材した。 *ビューロー・ヴァン・ダイク社調査による ◾️「お酢」は廃棄する酒粕由来、200年続くSDGs事業 ミツカンの創業者は中野又左衛門氏。「酒造の副産物である酒粕を利用してお酢を作る」というアイディアが創業のきっかけだという。酒造りの過程で出る酒粕は大部分が廃棄されてしまうというが、その酒粕を活用してお酢を製造するため環境に優しく200年以上前からSDGsの実現に貢献していた。もともと世界各国でお酢の文化は存在したが、一般的な米酢や穀物酢と比べて酒粕が原料として使用されるのは珍しいことだった。酒粕由来のお酢は、アミノ酸が豊富で豊かな風味と甘みで江戸前寿司文化にもマッチし、一躍人気の商品となった。 ◾️競合が廃業するなかで、200年存続する理由 当時お酢を製造する企業は多く存在したが、ミツカンのように200年以上も継承され続けた秘訣はどこにあるのか中埜氏に伺った。その秘訣は「時代と環境に合わせて事業を改廃してきたこと」にあるという。 初代が「酒粕でお酢を作る」という独自の発想で創業した会社を、二代目が商品に「山吹」という名をつけブランド化した。それまで一括りにされていたお酢に自社の名前をつけるというマーケティングにより、他の商品と差別化し、顧客に「山吹」なら確実に品質の良いものであるという認知を促進させた。三代目では、特約店制度を導入し、メーカーと特約によって商品を独占的に販売する販売網を整備。さらに四代目はミツカンマークを作り、それを歌舞伎の芝居小屋新富座でお披露目しブランドを確立させた。それぞれの世代が新たな工夫を加えながら、ブランドを強化してきた。 当時からブランドマーケティングが非常に秀悦だったことに加え、ミツカンの成功のもう一つの理由は資産の保有を抑え財務を軽くすること、アセットライト経営にあるという。酒造りの道具とお酢作りの道具が全く一緒だったため、本業で使っていた酒造りの醸造道具を使ってお酢が作れたという。大抵の場合起業する時には多額の資金がいるが、設備に関してはほとんどかかっていないのでこれは利点の一つだったという。