父と息子、丸い土俵と固い絆 母が急逝、19歳の新十両若碇は気合と根性、そして感謝
2024年の大相撲を締めくくる九州場所で、小さな力士が大きな一歩を刻んだ。若碇(わかいかり)=本名斎藤成剛、京都府出身、伊勢ノ海部屋=が19歳の若さで新十両に昇進。176センチ、117キロの小兵はしぶとく、きびきびとした取り口で23年初場所の初土俵から2年足らずで出世を遂げた。「豪快な相撲を取って、いつか幕内後半戦の土俵に上がりたい」。大志を抱く過程には別れと出会い、そして周囲の愛情があった。(共同通信=田井弘幸) 【写真】「あの子、すごいな」新弟子検査から親方衆を驚かせた天才力士 どん底から這い上がった小兵の知られざる魅力
▽解説のマイクに「ボコッ」、新十両手中で父親は… 24年9月の秋場所千秋楽は深い因縁を感じさせた。西幕下2枚目の若碇は3勝3敗で最後の一番。勝てば勝ち越しで新十両昇進は確実となり、負ければまた出直しだ。相手は十両力士だった。 この時間帯で偶然にもNHKテレビ中継の解説を務めたのが、父の甲山親方(52)=元幕内大碇、京都府出身、伊勢ノ海部屋。NHKのテレビとラジオの解説者は場所前から15日間全て決まっており、長男の大一番だからといって辞退はできなかった。 激しい攻防から投げの打ち合い。最後は若碇が執念の右掛け投げで競り勝ち、関取の座を手中に収めた。その瞬間、テレビ画面越しに「ボコッ」という鈍い音が響いた。 父が思わず両手をたたこうとした際、マイクに当たったという。「『しまった!』と思って手を引いたけど、あかんよねえ。ただ、やっぱり尋常ではないほどドキドキしたわ。解説でしゃべらなあかんし…。でも、込み上げるものはもちろんあったな」。野太くて、よく通る大きな声。京都府出身を思わせる関西なまりは知る人ぞ知る名調子だ。集中していた若碇は父が解説だったことを後で知った。丸い土俵で、ともに闘ってきた親子の夢は、こんな形で実現した。 ▽失意のどん底「これからどうしたら…」
13年6月19日は、悲しい一日だった。 甲山親方の妻直美さんが急逝した。12年1月に生まれた第4子の長女世奈ちゃんが病気で亡くなってから約3カ月。直美さんは連日の看病で心身が疲労する中、がんを発症していた。東京都内の自宅で療養中に容体が急変し、搬送先の病院で息を引き取った。34歳だったという。 若碇は小学3年、次男の忠剛は小学1年、三男の夕剛は幼稚園の年少だった。家を出る朝、母は生きていたのに、帰ってきた時にはあまりに酷な知らせが待っていた。「悲しかったけど、いつ立ち直ったかは分からない」。若碇の記憶は断片的だ。当時41歳の甲山親方は失意のどん底に落ちる一方、現実に直面した。「これからほんま、どうしたらいいのかな…」 年6度の本場所のうち、地方場所は大阪、名古屋、福岡の3度で、それぞれ1カ月ほど滞在。さらに新弟子を指導する相撲教習所の教官として、偶数月の平日の大半は朝早くから午後まで両国国技館で勤務する。仕事、家事、まだ小さい3人の育児を一手にこなさなければならない。父1人、息子3人の日々が始まった。 ▽目の前を照らしてくれた、寺尾の言葉