鈴鹿サーキットに歴代F1が集結、ホンダF1の歴史を振り返る
2015年のF1グランプリの開幕が間近に迫っています。今年の見どころの一つとして注目されているのは、イギリスのF1チーム「マクラーレン」が再びホンダ製の動力システム(パワーユニット)の供給を受け、「マクラーレン・ホンダ」として参戦する点です。両者は1989年から1993年にもタッグを組んでおり、当時はアイルトン・セナやアラン・プロストといったスターとともに圧倒的な強さを見せてF1ブームを引き起こすきっかけともなりました。スペインでは2月~3月初めにかけて計12日間の合同テストが行われ、開幕へ向けての調整がおこなわれました。伝統の鈴鹿サーキットへ大集結したF1マシンを見ながら、ホンダのF1参戦の歴史を振り返ってみましょう。
「走る実験室」としての第一期
ホンダのF1初参戦は1962年に発表され、1964年から4年間参戦しました。当時、2輪車部門では当時世界最大のロードレースだったマン島TTレースにおいて、参戦3年目で全クラス制覇を行うなど評価を得ていました。しかし、4輪車についてはホンダ初の市販車である軽トラック「T360」やスポーツカー「S500」が1963年に発売されたことを考えると、4輪車参入後はとても短い期間でF1に参入したと言えます。 第一期のF1参戦は、世界最速のF1レースへの参戦を通じ、欧米メーカーと競争することで自社の技術水準を向上させ、最終的に市販車へ反映するという目的を持った参戦でした。ホンダ創業者の故・本田宗一郎氏はF1を始めとしたレース活動を「走る実験室」と称していました。 1964年、RA271で日本メーカー初のF1参戦を果たします。エンジンを横置きで搭載するなど、2輪車の発想が根強く残るマシンでしたが、その車体重量がネックとなって最高位は13位止まりでした。このマシンはエンジン高回転の音が独特で、その音は「ホンダミュージック」と呼ばれて親しまれていました。 翌1965年に登場した改良版のRA272は、同年のメキシコグランプリにてF1初勝利を上げます。しかし、1966年に入るとエンジンの排気量規定が1.5リッターから3.0リッターへ変更となった影響でマシンの設計をやり直す必要が出てきます。この年の開発は遅れ、新マシンRA273も3戦を走るのみで終わります。翌年も中盤まで同マシンが改良の上RA273Eとして使われ続けることになります。 1967年には、イギリスのローラ・カーズと車体を共同開発し、ホンダF1の課題であった軽量化を果たしたRA300がシーズン終盤に投入され、同年よりドライバーとして加入したジョン・サーティースがイタリアグランプリで優勝を果たします。 参戦最終年となった1968年シーズンには、RA301とRA302の2台のマシンを投入します。RA301は前年のRA300の改良版としての位置付けに対し、RA302は自然通気によってエンジンを冷却する空冷エンジンの開発のために投入された全く新しいコンセプトのマシンでした。しかし、唯一出走したフランスGPでクラッシュして炎上するという死亡事故を起こします。 その後、ホンダは市販車向けエンジンの開発に集中するためにF1からの撤退を発表しました。