「売れない地下アイドル」が政局キーマンへ 国民・玉木雄一郎代表、SNS駆使も若者人気
先の衆院選で自民、公明両党が過半数割れし、政権の枠組みが焦点となっている。カギを握るとされるのが、公示前から4倍に勢力を伸ばした国民民主党だ。玉木雄一郎代表は「対決より解決」を標榜し、政府・与党が模倣したくなる政策の打ち出しに腐心するなど「政策先導型」の野党像を模索してきた。希望の党時代から足かけ7年間、野党の党首を担った玉木氏。「売れない実力派地下アイドル」と評される時期もあったが、SNSも駆使して若者を中心に支持を固めてきた。 ■全員が「玉木」と書く 「ポストがどうだ、政権の動きがどうだ、というのは多くの国民に関係ない。そういうこと自体ずれている」 29日の記者会見で、自公連立政権への参加意思を尋ねられた玉木氏は「ない」と否定した上で、こう指摘した。 衆院選で256議席から191議席に大きく減らした自民党は、水面下で玉木氏側にさまざまなプランを持ちかけ、首相指名選挙での協力を打診した。立憲民主党も躍進したとはいえ、議席数は自民に及ばない148議席にとどまり、野田佳彦代表は玉木氏に首相指名選挙では「決選投票でいいから『野田』と書いてほしい」と呼びかけた。 しかし、玉木氏は「首相指名では決選投票も含め、(同党所属の衆院議員は)全員が『玉木雄一郎』と書く」と語る。現段階では、自公と政策ごとに協力する「部分連合」の方向に傾いているとの見方が強い。 ■安倍晋三氏が出馬面談 玉木氏は香川県寒川町(現さぬき市)生まれ。好きな食べ物は「さぬきうどんと餃子定食」という。 東大法学部卒業後、平成5年に大蔵省(現財務省)に入省。内閣府への出向時に自民党から衆院選への出馬を誘われ、当時の安倍晋三幹事長と面談した。ただ、出身地の香川2区(当時)には自民の現職がいた。別の選挙区からの立候補を提案されたが、「国政に挑戦するなら、先祖の墓のある場所で」との思いがあり、断ったという。 初出馬は17年9月の衆院選だ。選挙区は志望通り香川2区だったが、民主党公認を選んだ。「親も自民党員だったので、民主党には反対も多かったが、日本にも切磋琢磨(せっさたくま)できる保守二大政党制が必要だと思った」(公式サイト)と回顧している。