「売れない地下アイドル」が政局キーマンへ 国民・玉木雄一郎代表、SNS駆使も若者人気
このときは自民候補に大敗したものの、再び民主党公認で出馬した21年8月の衆院選で初当選。推進力になったのは、同郷で遠戚にあたる故・大平正芳元首相だった。
落選期間中、大平氏の親族を訪ね、協力を取りつけたという。大平氏は、穏健保守的な「宏池会」(旧大平派)を率いており、玉木氏の政治信条も近い面があった。親族らは「大平の精神を受け継ぐ者」と信頼を置き、選挙区内の自民支持者へ玉木氏支持を訴えた。
地元・香川で「玉木党」とも称される支持層が、リベラルから保守まで幅広く存在するのは、こうした経緯がある。
■「土着の保守政治家」小池氏から希望の党継承
所属政党には曲折があった。
玉木氏は29年9月、東京都の小池百合子知事を中心とする地域政党「都民ファーストの会」が国政に進出する形で結党した「希望の党」に合流した。玉木氏は直前まで民進党の幹事長代理を務めていた。
その後、小池氏の「排除発言」などに反発した枝野幸男元官房長官が立憲民主党を結成し、民進党の勢力が分散。翌10月の衆院選で希望の党は公示前勢力を下回る惨敗を喫した。玉木氏は初代代表だった小池氏から、最終的に党首の座を引き継いだ。
玉木氏は初当選以来、農業政策に思入れが強く、自身を「土着の保守政治家」と称す。希望の党についても「地に足のついた土のにおいのする政党」を目指すとし、「自民党や野党第一党に拾い切れない国民の声をすくいあげ、『飛び道具』に頼らず、地道に実績を重ねていく」と意気込んでいたが、民進党との統一会派構想を巡って党内が二分。約半年後に分党を余儀なくされる。
30年5月、玉木氏側のグループは参院を中心に構成する民進党と合併し、名称を変更して旧国民民主党が発足。玉木氏は共同代表に就いた。
令和2年9月には、立民と国民民主の合流議論の末に、旧立民と旧国民民主の一部が合流する「新立憲民主」と、合流しなかった玉木氏らによる「新国民民主」が結党された。玉木氏は新国民民主の代表として現在に至る。