無理な延命治療より「暮らしの中でみとりを」 住宅型老人ホームの10年
普通の暮らしの中で、過剰な医療を受けずに最期を迎えたい-。そんな願いを受け止める福岡県宗像市の住宅型老人ホーム「ひさの」が今月、開設10年を迎えた。代表の田中好(このみ)さん(56)が民家でのみとりを始めたきっかけは、祖母ひさのさんと過ごした最期の日々。これまでに39人をみとった田中さんは、出会いと別れの日々を振り返りながら、「老いてもぼけても大丈夫。暮らしの中でみとりを」と話す。 (平原奈央子) 【写真】自然の中に立つ日本家屋の「ひさの」。田中さんの祖父母の家だった。 田中さんは宗像市で生まれ育ち、20歳で上京。看護師になり、高齢者の死の現場に立ち会うたび、たくさんのチューブでつながれる老年期の医療に疑問を募らせていた。「なぜ普通に家で死ねないのか。家で死んではいけないのか」 39歳の時、国際協力機構(JICA)の看護師隊員として、西アフリカのニジェールに派遣され、首都近郊の村に滞在。不十分な医療環境の中でも、力強くしなやかに生きる人々の姿に感動した。「自然な生死の姿があった」と振り返る。 また同じ頃、「自然死」を提唱した医師の故中村仁一さんの著作に出合い、無理な延命治療より「枯れていく体」を受け入れていく考えに共感した。
■畳の上の祖母
2013年、入院中だった100歳の祖母の容態が悪化した。食事が制限され、栄養摂取は点滴だけ。「これ以上、この細い腕に針を刺すのはかわいそうだ。もう一度、口から食べさせてあげたい」と家族で話し合い、自宅に帰宅させた。 祖母は家族が見守る中でゼリーを一口食べ、座敷の布団で眠った。4日後、静かに息を引き取った。「すっと鳥が飛び立ったように逝った。畳の上で死ぬということを見せてくれた」 福岡市の「宅老所よりあい」に1年間勤務した後の14年10月、祖父母が暮らした家を老人ホームとして開設。優しく働き者だった祖母の名前を施設名にした。
■「食べる力」を
最初の入居者は92歳の女性だった。食事は不可能と診断を受け、病院では1カ月間、点滴のみで生きていた。家族は胃ろうなどの延命処置を望まず、女性は「ひさの」で暮らし始めた。 女性はとろみをつけたお茶から口にし、半年後には普通に食事ができるように。「食べる力」を取り戻した。穏やかな毎日を過ごす中、徐々に食欲が減って眠る時間が増え、3年後に亡くなった。田中さんはその経過を「少しずつ老いが深まり、旅立ちの時を迎えた」と表現する。これまでみとった39人それぞれに、最期の形があった。