「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い
創業の「一代目」さんと老舗の「ぼん」
儲かったからといって、利益をぎょうさん出したところで、どうするんや、税金にみんな持っていかれるだけやないか、というわけですが、私が見るところ、こういう話は京都では「一代目」の店、つまり「創業者の店」で多いように思います。 結局、京都の料理屋の「一代目」の人達は、たとえば外国の人ばかりを相手にした商売して、お客さんがいっぱいになって、「一人前になったら、かっこいい外国車に乗りたいな」といった夢をかなえた。そういう夢を励みにして商売をやってきたんや、というわけです。 一生懸命やって、お金が入ってくるようになると、フェラーリを3500万円で買ったりする。祇園のクラブに行って、毎日のように酒飲んだりするようになる。そして、結局、国税に入られてぎょうさん税金を取られたりするわけです。 あんた、そんなにほうけている場合とちゃうでと、言うてあげたのに、懲りもせずにまた新しい彼女を作ってみたり、そういうことをする。 それも創業者で、一代で一生懸命やってきて、金儲けて独り立ちした、だからそういうことがやりたいというのは、私もよくわかるんですよ。わかりますけど、「一生懸命」の、その方向性が違うんやないか、ということなんです。 その点、いわゆる老舗の「ぼん」連中はどうかと言うと、ちょっと違ってきます。 「ぼん」連中は、何代も続いている家の子やから「ぼん」じゃないですか。大体が、お金のある家の子。それがみんな、ちっこい車に乗って走り回ってる。 「お前、この前買うた言うてたBMWのでかいやつはどうしてんねん」と訊いたら、「あんなのでこの街は走れませんよ」と言う。「あんなの停めるところもないし、大変ですよ」と言う。さらに「走れたら充分。これで充分ですわ」とか言って涼しい顔してる。 先のフェラーリ買うたとかいう人らと別に、この「ぼん」らはそんなことに価値を求めていない。細い路地が多い街を走るんやったら、これで充分。走るんやったらちっこい車で充分、いや、その方がいいと言うんです。 それくらい、創業者、一代目でブイブイ言わしてる若い連中と、京都の「ぼん」連中は持ち味も価値観も相当違う。 そこで、この連中をごちゃ混ぜにしたら、ちょっとおもしろい化学反応が起こるかもしれんなと思って、そういう機会を作ったんですが、失敗しました。うまくいきませんでした。やっぱり、合わないんです。 合わない、というのは、こういうことです。 一代目でやってきた連中は、「お前らがへらへら学生やってる時に、俺らは歯を食いしばって頑張ってきたんや」という思いが強烈にある。「お前らに決して負けへん」と思っているわけです。 一方、「ぼん」連中は何も思っていない。何も意識してないから、「あの人らは言葉に圧がある」とか、果ては「こわい」とか言う。「こわいやろな」と思います。創業者、一代目の連中は、「いけいけ」「攻撃的」、英語で言うたら「アグレッシブ」ですからね。 「ぼん」連中は皆それなりに、同志社とか立命館、そこらへんの大学ぐらいは出ているわけで、下手したら大学院に行って、皆それなりのものを見て、聞いて、この商売を継いでいる。あんまり「アグレッシブ」やらの気持ちは持ったことのない連中です。 そんなこんなで、「ぼん」連中は何も意識してへんけど、一代目の連中はかなり意識している。こういうわけです。 文/村田吉弘
---------- 村田吉弘(むらた よしひろ) 1951年京都府生まれ。 立命館大学卒業後、名古屋の料亭で修業を積み、「菊乃井 露庵」、「赤坂菊乃井」、「無碍山房」を開業。 NHK「きょうの料理」等に多数出演。NPO法人「日本料理アカデミー」名誉理事長も務め、日本料理の国際化を牽引している。著書に『村田吉弘の「うまみ酢」でかんたん和おかず』等、監修本に『だしを極める。 日本料理の伝道師・村田吉弘が伝授』等多数。 ----------
村田吉弘