<調査報道の可能性と限界>第5回 「内部書類を手に入れろ」調査報道のプロセスは?
調査報道は「端緒が全て」と言われます。記者の小さな疑問、発表の矛盾への気付き、内部告発――。こういった端緒からスタートしても、調査報道の道のりは長く、簡単ではありません。内部書類の真贋、くるくる変わる当事者の証言、取材拒否。いくつかの事例を取り上げながら、調査報道の取材プロセスを解剖してゆきましょう。 【図表】第4回 調査報道は何を「きっかけ」に始まるのか
「動かぬ証拠」を押さえる
米ワシントン・ポスト紙によるウォーター・ゲート事件報道では、取材に当たった20代の若い記者2人に対し、上役のデスクが口を酸っぱくしてこう言ったそうです。 「Get the documents!(内部書類を手に入れろ!)」。 不正が行われたことを示す物的証拠。それを何としても取って来い、というわけです。 調査報道は、公式発表を伝える報道とは真逆の取材プロセスで成り立っています。とりわけ、権力内部の不正を明るみに出すスタイルの調査報道においては、報道内容を当局側が認めないこともしばしばです。そうした際、動かぬ証拠となるのが内部書類などの物的証拠です。
2つの問題点がある「沖縄密約事件」
物的証拠の重要性を示す事例としては、沖縄返還協定に絡む日米の「沖縄密約事件」があります。 密約の存在は最初、1972年の国会において野党側の質問で明るみに出ました。社会党の横路孝弘衆院議員が密約を示す外交電文を手に質問したからです。この機密文書は毎日新聞政治部記者が外務省の女性事務官と肉体関係を結んだ上で入手したもので、文書の入手方法をめぐって強い批判を浴びました。2人は後に国家公務員法違反罪(情報漏洩)で有罪判決を受けます。 この事件を調査報道の視点で振り返ると、二つの問題点が浮かび上がってきます。 一つは、毎日新聞が当時、「密約文書、入手」といった形で報道していないことです。当該記者の解説記事の中にそれを臭わす記述はあったとされますが、専門家や当事者でないと即座に分からないような形であり、一般読者が「密約が存在する」と理解できるような内容ではなかった、と言われています。結果、文書は記者から横路氏に渡り、国会で初めて表に出てくる形になりました。 密約事件のもう一つのポイントは、だからこそ、調査報道における物的証拠の重要性が逆に浮き彫りになったということです。沖縄密約は後に、米国で公文書として残っていることが判明し、日本側も後年その一部を認めました。1972年に明るみに出ていなければ、密約の存在を日本側は半永久的に隠し通したかもしれません。そして、当時の毎日新聞が調査報道の結果として堂々と報じていれば、調査報道の歴史を変えたかもしれません。