インドで遭遇した「自動車盗難事故」の大変すぎる顛末、警官や保険会社の対応に開いた口が塞がらない…
インド在住時に買ったばかりのジープを盗まれてしまった、山田真美氏。しかし、警察官は盗難証明書を出すのに「袖の下」を要求し、保険会社の担当は「保険金が下りるのは百年後」とのたまう。信じられないインド人たちの態度に対抗するために取った行動とは――。本稿は、山田真美『インド工科大学マミ先生のノープロブレムじゃないインド体験記』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● インドの祭り「ホーリー」の 夜に起こった「自動車盗難事件」 インド全土で祝われる祭りの1つに「ホーリー」がある。春の到来を祝う祭りだが、この日には、相手構わず色水をかけてかまわないというトンデモナイ無礼講が許されている。 血気盛んな若者たちがカラフルな色水を準備し、誰かの頭の上にぶちまけてやろうと手ぐすね引いて待っている。そんなところへノコノコ出かけ、むざむざ犠牲になるのはご免だから、例年、この日は家から出ず、静かに過ごすことに決めていた。 ある年のホーリーの翌朝のこと。起床してカーテンを開けた瞬間、何かが変だと感じた。 そこにあるべき何かがないのだ。よくよく目を凝らして、ようやく気がついた。 「あーっ、車がない!」 信じられないことだが、買ったばかりのインド製ジープが、駐車場から忽然と消えていた。昨夜、寝る前に窓ガラス越しに見た時は、車は確かにそこにあったというのに! あとから知ったことだが、わが家の車が消えた、まさにその夜、同じ町内だけで計7台の新車が盗まれていた。手際のよさから見てプロの犯行で、盗まれた車はあっと言う間に山間部を抜け、ネパールの闇市場に運ばれて二度と戻らないだろうと、あとで聞かされた。
ホーリーの夜にわが家のジープが盗まれたニュースは、時を移さず友人知人に知れ渡った。ネットもSNSもない時代だから「クチコミ」だが、その反響は凄まじく、わが家には大勢の友人たちが続々と「盗難見舞い」に駆けつけてくれた。 見舞いの内訳は、「車泥棒に遭うなんてお気の毒に!さあさあ、使っていないうちの車を持ってきたから、自由に乗ってちょうだい!」そう言って実際に車を持って来てくれた人、6人。 「ここは治安が悪い。引っ越しなさい」と、すぐに住める物件を探してくれた人、4人。 警察の偉い人を紹介してくれた人、8人。 車がどこにあるかを占うために占い師(タロットとダウジング)を連れて来た人、2人。 日本ではあり得ないような「熱い」リアクションである。インド人のあまりの熱さに、車を盗まれた私たちのほうが次第に冷静になり、「まあまあ、落ち着いて」と逆に相手をなだめていたのはおかしな話だった。 ● 「袖の下」を要求してきた 悪徳インド人警察官 盗難事件の当日から、それまで「通い」で来ていたドライバーがピタッと来なくなった。 この人は、いつものドライバーが急病で休んでいるあいだの「つなぎ」に雇った仮の運転手。「短い付き合いだから」と、相手のことをよく調べなかったのがいけなかった。 彼が車泥棒だと言い切れる証拠はどこにもないが、彼ならスペアキーも作れたし、状況から見て、残念ながらその可能性は高いと思う。 不幸中の幸いでジープには保険がかけてあり、盗難に遭った場合には、車輛代金の全額が返って来ることになっていた。しかし、ここからが本当の至難の始まりだった。 車は夫名義になっていたので、彼が近くの警察署へ盗難届を出しに行ったところ、担当者は長期休暇中で、1カ月後にならないと出勤しないという。ずいぶんいいかげんな警察だと憤慨しながら、待つこと1カ月。休暇から戻った担当官がようやくわが家に来て、現場検証(の真似事)をして帰って行った。 それからまた、長い時間が経った。同じ担当官から「盗難証明書ができた」という連絡がきたので、夫が警察署へ出向いたところ、なぜか「署の建物の中ではなく、裏の駐車場で会おう」という指示。この時点で、すでに怪しすぎる。とりあえず安全を確保しながら言われたとおり駐車場へ行くと、担当官は証明書を差し出しながら小声で言ったそうだ。 「この紙切れ1枚と引き換えに、キミは保険屋から大金を受け取れる。それは、本官の署名がしてあるからだ。つまり、本官の署名にはそれだけの価値があるってことだ。そうだろう?だったら、せめて車輛代の5分の1ぐらい、本官に分け前をくれないかな」