UAEでのプレーを最も知る男、塩谷司の4年越しアジア杯への思いと役割
過去5シーズンで3度リーグ優勝を果たした広島はそのころ低迷し、塩谷も自身が成長できていないことを痛感していた。そんなときに届いた中東からのオファー。何かを変えたい――。そんな想いで海を渡る決断を下す。 移籍したアル・アインにはUAE代表の司令塔、オマル・アブドゥルラフマン(現アル・ヒラル)や、鹿島アントラーズで活躍したカイオ、広島でチームメイトだったドウグラス(現清水エスパルス)がいた。そんなUAEを代表する強豪チームで塩谷は主に左サイドバックを務め、3年ぶりのリーグ制覇に貢献。さらに、昨年12月にUAEで開催されたクラブ・ワールドカップに出場すると、レアル・マドリードとの決勝戦で敗れたものの、一矢報いるヘディングゴールを決めたのだ。 塩谷が歴史に名を刻むゴールをマークした約2週間後、アジアカップのためにUAEに乗り込んだ日本代表は、危機的状況に陥っていた。中島翔哉と守田英正が負傷離脱することになったのである。 このピンチに、森保一監督が白羽の矢を立てたのが、ほかでもない塩谷だった。マルタで家族とともにリフレッシュ中だった塩谷のもとに、かつての恩師から「力を貸してほしい」との連絡が入る。 「まさか追加(招集)とは思っていなかった。UAEに来たときの目標として、この大会に出ることがあったので、追加招集という形でしたけど、ひとつ目標に届いたのは、自分にとっての通過点だと思います。前回は試合に出られなかったので、ひとつ何かを残せるように。練習からバチバチ、アピールしていきたいなって思います」 ウズベキスタン戦の決勝ゴールは、有言実行のゴールだったのだ。 およそ1年半のUAE生活では予期せぬことがしょっちゅう起こり、心身ともに鍛えられているという。 「何事にも動じなくなったというか、精神的に強くなったと思います。シャワーが壊れて熱湯しか出なくなったり、クーラーが壊れたり。試合時の気温は42℃が最高です。日本も気候的にタフな国ですけど、中東もすごくタフだと思います」