あなたの中に眠る「使える短所」と「使えない長所」 禅僧が説く「長所がない」と嘆く前にやるべきこと
長所は、人のために生かされて初めて、自分の長所として胸を張れるものになる。自信の源になる。そんなふうに考えてください。ここでも、人より優れているか、お金になるかどうかは、気にしないで結構です。 例えば、仕事で「プレゼン資料をつくる」となると、そこには、図を描くのが得意な人や、文章やキャッチコピーを考えるのが好きな人、口頭でのプレゼンが誰よりもうまい人など、多くの人の活躍の機会が生まれます。 そんなとき「〇〇なら〇〇さんに任せよう」と言ってもらえるだけの立ち位置を自分がいる環境のなかで確立できたら、もう十分です。相談を持ち掛けられて自分なりの答えが返せる存在になれば、「〇〇ができる人」として頼られますし、あなたの居場所ができるのです。
そうした環境にいると、自分の「短所」だって気になりません。 「苦手なことはたくさんあるけど、得意なこともあるから、まあいいか」と割り切れるようになります。長所も短所もそのままに、自分を愛せるようになります。「私なんて」と卑下する必要は、どこにもないのです。 そもそも、長所も短所も、あなたの大切な個性の一部です。そして、あらゆる個性が、誰かの役に立つ長所になりえるのが、諸法無我の世界とも言えます。
ある人から、こんな話を聞いたことがあります。 「自分は、人に会わずひとりで部屋にこもっているのが苦にならない。若い頃は、社交性がないのは短所だ、直さないといけないと思って、悩んでいました」 しかし、あるとき「自分はこれでいく」と開き直ったそうで、今は本を書く仕事をされています。「原稿の締め切りに間に合わせるために、一週間以上自宅で”カンヅメ”になっていても平気」だそうです。 「そんな生活は退屈で耐えられない!」という人もたくさんいると思います。しかし、だからこそできる仕事もあるわけで、そうであるならば「ひとりでいるのが好き」なことも立派な長所と言うべきでしょう。