ソフトBの”絶滅危惧種”高橋礼が子供達に語った「僕がアンダースローになった理由」
188センチの長身をマウンドぎりぎりまで沈めさせる、美しさすら漂わせるアンダースローから最速146キロのストレートを投げ込む令和のサブマリンが、未来を担う子どもたちに金言を授けた。 プロ初勝利を含めた12勝をあげて、今シーズンのパ・リーグ新人王に輝いた福岡ソフトバンクホークスの高橋礼投手(24)が20日、日本サッカー協会(JFA)と日本プロ野球選手会(JPBPA)のコラボレーション企画「JFA こころのプロジェクト 夢の教室」で夢先生を拝命。東京・江東区の区立東雲小学校を訪れ、5年3組の児童32人を前に熱弁をふるった。 ソフトバンクのユニフォーム姿で登場した3時限目は、体育館でキャッチボールや身体を動かすレクリエーションを介して児童たちと終始笑顔で交流。白いワイシャツにグレーのネクタイ姿に着替え、教室へ移動した4時限目は人生で初めて教壇に立ち、右手に握ってきた白球を色とりどりのチョークに変えて、黒板いっぱいに自身が歩んできた野球人生をポイントごとに書き綴った。 「教えるという感じになると何だか押しつけているような感じになって、もし自分が児童だったらあまり聞きたくない、と思うはずなので。どのようにしてプロ野球選手になったのか、その時々でどのような気持ちだったのかを、わかりやすかったかどうかは別にして一応、話すことはできたので、自分という存在を児童のみんなに認めてもらえたのかなと思っています」 時間がやや押し気味になるほど、熱意を込めた大役を務め終えた高橋は夢を見つけて、実現させていくために【1】アドバイスを素直に受け止めて実行する【2】ふとしたところにヒントがある【3】楽しいと思うところへ全力を注ぐ――と3つのメッセージを子どもたちへ送った。いずれもアンダースローと出会い、オーバースローから転向し、習熟させていった自身の軌跡が反映されている。
千葉県松戸市で生まれ育った高橋は、地元の強豪チーム、流山クラブボーイズでプレーしていた中学2年生の秋に運命のターニングポイントを迎える。臨時コーチからアンダースローへの転向を勧められた高橋は、当時の心境を「みんなが急に宇宙飛行士なろうと思うのと同じ感じでした」と、突拍子もない無謀なチャレンジだったと子どもたちに打ち明けている。 「ただ、そのときは4番手のピッチャーで、試合ではほとんど投げられない。スピードはめちゃくちゃ遅いし、コントロールも悪かったので『試合で投げられるのなら』と、仕方なく転向しました。自分でも『どうなるのか』と思っていましたが、実際に投げてみると意外と楽しかったんです」 中学3年の夏にはエースへと昇格した高橋の身長は、転向当時は170センチほどだった。アンダースローに魅せられた高橋は、球界で活躍していた同じ投げ方のピッチャーを調べた。プロアマ混成チームで臨んだシドニー五輪で代表入りし、新日鐵君津から2001年に加入した千葉ロッテマリーンズで「ミスターサブマリン」と呼ばれた渡辺俊介さんの身長は177センチだった。 「渡辺さんと当時の自分を勝手に比較して、身長が170センチあればできると思っていました。それくらい投げやすいと感じていましたが、まさか自分がこうなるとは思っていませんでした」 高橋が言及した「こうなる」とは、専修大学松戸高から専修大学へと進んでいったなかで、急に伸びていった身長を指す。渡辺さんやサンディエゴ・パドレスから東北楽天ゴールデンイーグルス入りした牧田和久、昭和の時代に大活躍したレジェンド、山田久志さんや杉浦忠さんの身長がすべて170センチ台だったのに対して、188センチの高橋がもつストロングポイントは何なのか。 「難しい話かもしれませんけど、出力というものを上げられるんですね。自分の身体を大きく使えば、小柄なアンダースローのピッチャーよりも大きな力を発揮できる。そこは自分のアドバンテージだと思っています」 体重も84キロと威風堂々としたサイズを誇り、高校時代には上手投げへの再転向を命じられたほどのパワーを、マウンドすれすれのリリースポイントからボールに込める。浮き上がってくるようなストレートが対峙する打者に与える体感速度は、実測より10キロも速いとされている。 そこへ自らを「絶滅危惧種」と呼んではばからない、アンダースローの希少価値が加わる。投球数全体に占めるストレートの割合が7割を超えるなど、パワーピッチャーとして異彩を放つ存在となった高橋は今シーズンの日本プロ野球を席巻。日の丸を背負った舞台での活躍も期待される。