失われつつある遊廓や赤線、歓楽街など色街を撮影した写真集のプロジェクトが始動。元ソープ嬢YouTuber・写真家・紅子による写真集第二弾
人気写真集の第二弾
いまや失われつつある遊廓や赤線、歓楽街など全国に残る色街を撮影する写真家・紅子。2023年に刊行した写真集『紅子の色街探訪記』(OPTIC OPUS有限会社)が人気を博し、現在その第二弾となる写真集『紅子の色街探訪記2』リリースに向けてクラウドファンディングが実施されている。 https://greenfunding.jp/lab/projects/8613 (会期:11月~2025年1月中 主催:株式会社カストリ出版 担当:渡辺豪) 紅子は元吉原ソープ嬢という経歴を持つシングルマザーで、48歳から独学でカメラを始め、51歳のときに色街写真家として遊廓や赤線跡地の写真集『紅子の色街探訪記』を出版。また自身のYouTubeチャンネルは登録者数約4万人を誇り、過去の体験記とともに遊廓の歴史を紹介している。 クラウドファンディングに伴い、各界から寄せられているコメントの一部を抜粋。 加藤晴美(東京家政学院大学現代生活学部准教授) 私はここ10年ほど、日本の遊廓をテーマとして研究を行ってきました。「遊廓」とは、近世から近代の日本において、公権力によって営業を許可された性売買の空間です。大都市だけではなく、小都市も含めて日本列島全域につくられた「遊廓」は、現代に生きる我われが想像するよりもはるかに多かったのです。 昭和33年の売春防止法完全施行後、遊廓や私娼街で営業していた人びとは稼業の転換を求められ、例えば下宿業や宿泊施設、トルコ風呂など、さまざまな業種に転業していきました。そして、その多くは現在すでに営業を停止しており、解体される建物も非常に多いという実情があります。しかしながら、こうした建物は日本における性売買空間の生き証人であり、紅子さんが撮影される写真は今後、確実に貴重な歴史的資料ともなるでしょう。 戦前まで日本では売春が公認されており、男性が買春することが「当たり前」の社会がつくられてきました。紅子さんに投げかけられる心無い言葉は、女性を買いつつ、彼女らを「淫売婦」などと貶めてきたかつての日本人の感覚を引き継いだものです。こうした感覚、価値観は現代社会にも確実に暗い影を落としています。 紅子さんの写真は美しく、またそこで生きた人びとに寄り添い、人びとの息遣いを再現するような素晴らしいものです。紅子さんの写真に感銘を受けた、一ファンとしてこの写真集プロジェクトの成功をお祈りするとともに、皆様にもぜひ本件の趣旨に賛同していただき、ご支援いただけるようお願い申し上げます。 都築響一(編集者) 初めて会ったのは2022年の夏だった。そのとき彼女は初めての写真展を開く直前で、不躾な言い方をさせてもらえば、紅子さんはまだ何者でもなかった。 それから2年しか経っていない現在、写真展はもちろん公式YouTubeチャンネルには数万人の視聴者がついているし、トークイベントは常に大盛況、「紅子さんが案内する吉原ウォーク」みたいな催しもあっというまに予約満員。すごく立派な第一写真集が出版されたのは2023年11月だったけれど、それから1年も経たないうちにもう第二写真集のクラウドファンディングがスタートするという。各地の撮影やイベントに飛び回る過密日程はツイートを見ているだけで心配になるけれど、激変した日常にいちばん驚いているのは彼女自身かもしれない。 紅子さんのファンは、彼女とその写真をいったいどう見ているのだろうと、ときどき思う。男性ファンの中にはいにしえの遊郭や現代のソープの写真が並ぶ展覧会を観て、その足でソープに駆け込んだり、デリに電話して女の子を抱いたりするひともいるのだろうか。僕がもし吉原のソープですっきりしたあと、石鹸の爽やかな匂いを漂わせてカストリ書房の展覧会に寄ったら、そこにいる女性ファンは微笑んでくれるだろうか。それとも冷ややかな軽蔑の目線を浴びせるだろうか。 哀愁に満ちた遊郭街や、キッチュなソープ街の写真を撮る人はいっぱいいる。風俗で遊ぶのが大好きなひとはもっといっぱいいる。でも、その2種類のひとたちは、あんまり重ならない。僕が紅子さんの写真を好きなのは、彼女が異なるふたつの世界観をつなぐミッシングリンクのような存在だから。それは「けっして好きでやってたんじゃない長い風俗勤め」に裏打ちされた、画面から滲み出る美しさと悲しみ。セックスの快感とカネで買われる苦痛。売春で生きる女たちへの、家族愛にも似た寄り添い。彩度を上げたプリントの奥底に、そういう幾層もの思いが重なって見えてしまうからなのだろう。 「元ソープ嬢の色街写真家」と肩書きのつく紅子さんだけど、10代後半で始めたピンサロ勤めを皮切りに32歳で吉原のソープを引退してから、カメラを手にして「色街」を歩きまわりはじめたのが2020年代になってから。そのあいだに「ずっと息を潜めて、ずっと後悔しながら会社員として働いてきた」(本人談)という20年近くの年月が横たわっていることを忘れてはならない。それが「後悔ばかりしながらいま50になって、このまま死にたくない、そういった思いを写真にぶつけている」という紅子さんの闘いかたなのだ。 渡辺豪(カストリ書房) この10年ほどで遊廓の撮影に大きな変化が訪れている。というのも、被写体である遊廓建築そのものが多くの土地で失われ、街景を収める引いた構図が成立し得なくなってきたのである。必然的に寄るしかない。寄ると情報量は減るが、その分だけ撮り手の意識が浮き彫りとなる。意識に乏しければ、被写体から引き出せる情感もまた希釈される。 その意味で、どの過去よりも撮り手が試される時代が訪れている。紅子さんの写真に潜む当事者性が放つ圧倒的な情感、換言すればリアリティは、遊廓建築の喪失と連動しているのである。 確かに皮肉的ではあるが、紅子さんという撮り手の登場を私たちは喜ばなければならない。「建築は総合芸術」と喩えられるが、それゆえに喪失は物質のみならず、記憶や感情さえも巻き込みながら帷の彼方へ消え去っていこうとしているからである。 写真を一瞥して気づくように、紅子さんの視線は、往時そこに立っていたであろう遊女のそれである。紅子さんの写真を眺めるとき、私たちは遊女の眼になる。同時に遊廓史の末端に連なっている私たち自身の像も多重露光されている── 芸術とは、ときに浮世離れして実利に欠いたものと見做されるが、本来そうではなく、私たちが忘れかけている大切なものを教えてくれる。その意味で、紅子さんの写真が担う、遊廓史の継承に資する大きな役割を私は疑わない。 いま紅子さんの細い双肩には重責がのしかかっている。過去の桎梏を解き、独力で生き延びてきた紅子さんならば難なく背負って歩き続けるに違いないが、膝をついていっとき心と身体を休めるとき、そして再び立ちあがろうと未来へ手を差し伸ばすとき、せめて微力であっても応援したい。
Art Beat News