キャリアの始まりは“練習生”…アルバイトも経験、「這い上がってきた」山崎稜の日本代表デビュー
「ちょっと緊張しました。なるべく普段どおりにプレーしようと思っていましたけど、少しフワフワしてしまったというか。でも、こういう経験をできたのはすごく良かったと思います。ゼロの時から考えると、本当によくこんなところまでこれたなと。昔から一つひとつ努力してきたこと、どんなに小さいことでも一つひとつやり続けてきた結果だと思います。今後もブレることなく、このマインドで引退までやり遂げようと思います」 山崎稜(広島ドラゴンフライズ)、32歳。11月21日に日環アリーナ栃木で行われたモンゴル代表(FIBAランキング108位)との「FIBAアジアカップ2025 予選」Window2で日本代表(同21位)デビューを飾ったあと、彼が発した言葉だ。 山崎は昌平高校3年次にウインターカップへ出場すると、卒業後の2011年にスラムダンク奨学金の第4回奨学生としてアメリカへ。プレップススクールのサウスケントスクール、2年制大学のタコマコミュニティ大学を経て、2013年7月に当時bjリーグ所属の埼玉ブロンコスへ加入した。トップリーグのキャリアは練習生としてスタート。のちに選手契約を結んだものの、「お金が発生しない契約」だったため、「レジを打っていましたし、裏でハンバーガーを作っていました」と、マクドナルドでアルバイトとして働きつつ、「ほぼ1シーズン」バスケットボールをプレーしていたことを明かした。Bリーグが誕生した今では「あり得ない話」と言いながら、ポジティブな言葉を続けた。 「ここ(日本代表)でそのような経験をした選手は絶対にいません。僕にしかないもので、僕が這い上がってきた証でもあります。今となってはいい経験だったなと感じています」 「ゼロの時」を過ごした男はその後、バンビシャス奈良でプレーし、富山グラウジーズでBリーグ誕生の2016-17シーズンを迎えた。翌シーズンにBリーグ初代王者の栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)へ移籍。7年後、日本代表デビューを飾ることになった地を本拠とするクラブだ。 「栃木(現宇都宮)に在籍したことがあるので、僕のことを知ってくれているファンもいたと思います。そういった人たちの前でも成長した姿、ここまでこられた姿を、いいパフォーマンスで見せたかったのですが、そこは少し残念です」 モンゴル戦では同僚の中村拓人(広島)をはじめ、大浦颯太(三遠ネオフェニックス)や山口颯斗(長崎ヴェルカ)など新戦力がコートに送り込まれるなか、山崎に出番が訪れたのは同点で迎えた第2クォーターから。開始1分48秒に放った得意の3ポイントシュートはリングに嫌われたものの、リバウンドを拾った相手からすぐさまボールを奪い返し、日本代表初得点を挙げた。ただ、前半のプレータイムはわずか2分57秒。後半は26点差がついた第4クォーター開始3分57秒からコートに立ったが、シュートを沈められなかった。 「練習ではタッチがすごく良かったですし、状態もいい感じでした」と話しながら、「試合と練習では違うので。本番で決められなかったら意味がないです。もっと自分に厳しくしていきたいです」と自身を評価。「海外の選手は体が強く、ガツガツと(体を)当ててくるイメージがあります。ただ、自分としてひくつもりはないですし、バチバチの勝負は試合の楽しみです。そこはBリーグとの違いだと思います」と続けた。 栃木(現宇都宮)に3シーズン在籍したあと、2020-21シーズンに群馬クレインサンダーズへ移籍。2023-24シーズンに活躍の場を広島へ移すと、高確率の3ポイントシュートを披露し、チームをBリーグ制覇に導いた姿は記憶に新しいだろう。今シーズンは1試合平均8.1得点に37.3パーセントの3ポイントシュート成功率を記録。遅咲きながら、その活躍が評価され、日本代表に初選出されたのだ。 「この年齢で日本代表に選ばれるのはすごく喜ばしいことです。それと同時に、試合で結果を出さなければ次はない。1試合、1試合、一つひとつの練習すべてを見られていると思うので、自分のプレー、自分の持ち味をしっかりと発揮しなければいけないと痛感しました」 異色のキャリアを歩み、32歳で刻んだ日本代表初出場。家族への感謝はもちろん、バスケットボール界に大きな影響を与えた『スラムダンク』作者への思いも口にした。 「昨シーズンの優勝後、チャンピオンシップMVPのトロフィーを持って、スラムダンク奨学金でお世話になった井上雄彦先生のところへ報告しに行きました。スラムダンク奨学金がなければ、今の僕は絶対にここにいません。あれがあったからこそ経験を積むことができ、アメリカで切磋琢磨して、プロの世界でやっていくヒントを得られたと思います。日本代表の舞台に立ち、感謝の気持ちがより強くなりました。(スラムダンク奨学金で)非常にいい経験をさせてもらったと思っています」 2028年に向けて新たなスタートを切った“ホーバスジャパン”での目標を聞くと、「まずは次(24日)のグアム代表戦に出て、そこでしっかりとアピールすること。そして、2月にもう一度呼んでもらえるようなパフォーマンスを、レギュラーシーズンからしっかりと発揮していかなければいけないと思っています」と彼らしい回答。32歳のオールドルーキーは今後もいつもどおり、コツコツと努力を重ねていく。 取材・文=酒井伸
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