なぜ戦争に訴える?ロシアの根源感情を読み解く ロシア独特の「陰鬱」や「憂鬱」の背景
長い間、これだけの巨大帝国、強国にはさまれた、国境が決して確定しない不安定な国家がロシアなのであった。だから、ロシア人の心の内には、常に周辺に脅かされるという底知れぬ恐れと、それに耐え忍ぶ途方もない忍耐力と、いっきに形勢逆転をはかる軍事力を手に入れ、勢力を拡張するという「力への意思」というようなものがあっても不思議ではない。 ■戦争とは祝祭である ロシア正教会は、基本的に、ロシアを守る戦争には好意的である。決して平和主義ではない。兵士も武器も神によって祝福されると考える。その延長で、ロシア正教会は、ロシア防衛のための核兵器の使用を認めているのである(角茂樹『ウクライナ侵攻とロシア正教会』〈KAWADE夢新書〉参照)。
そして、これはロシア人の一般的な気分の、少なくともある部分を示しているようである。それを亀山陽司は次のように述べている(『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』〈PHP新書〉参照)。 「ロシアにとって戦争とは、単なる防衛でもなく、単なる侵略でもない。それは巨大な『祝祭』であり、国民によって何度も追体験されるべき歴史的記念碑である」 戦争は「祝祭」のごときものだ、というのは面白い表現だろう。私はつい、あのチャイコフスキーの「序曲1812年」を思いだしてしまうが、これなどまさに戦争を祝祭として描いたかのように聞こえる。確かに列挙するのも面倒なほど、ロシアの歴史は対外的な戦争の連続であった。そして、亀山の前掲書によると、19もの「軍事的栄光の日」が法的に定められているそうである。
佐伯 啓思 :京都大学こころの未来研究センター特任教授、京都大学名誉教授