錠剤飲んだら激しい吐き気や高熱…「治るかも」淡い期待は絶望に 軍が開発した新薬「虹波」投与は「まるで人体実験」 恐怖に耐えたハンセン病元患者の憤り
「逆らえる環境になかった」
ハンセン病患者は隔離対象とされ、異論を排除する戦時下の空気も重なり「逆らえる環境になかった」。芋掘りや納骨堂の清掃といった園内作業に没頭し、痛みに必死に耐えた。効果が全く感じられなくても、医師は「栄養が足りないからだ」と一蹴した。1年ほどで試験が打ち切られた時、「どれほどほっとしただろう」と振り返る。
まるで人体実験
47年発行の学会誌「皮膚科性病科雑誌」によると、同園の被験者は180人に上る。そして、同誌は「臨床的効果は少なかった」と結論付けている。松本さんは「まるで競走馬のような人体実験。戦々恐々の時代に、私たちは軍に殺された」と憤った。
長野県には、陸軍の委嘱で虹波の研究を主導した医学者・故波多野輔久(はたのすけひさ)氏(1901~88年)の孫の女性(63)が住んでいる。新たに知ることになった祖父の足跡がとげとして今も胸に刺さっている女性に対し、松本さんは「全て戦争の仕業。どうか背負わず生きてほしい」との伝言を記者に託した。女性はその言葉をかみしめ「人間の尊厳とは何かを教えられた。過ちを繰り返さないため、国が歴史の闇を明らかにしてほしい」と強く願った。
戦後に全盲になったのは「虹波の副作用もあるのでは」と考えたこともある松本さん。人権救済を国に訴えつつ、同園盲人会の仲間と川柳を詠み、歌を口ずさみながら人生を楽しんできた。「寝た子を起こしたくない」とためらう気持ちもありつつ、実名で取材に応じた理由をこう明かした。「話し合いで平和を維持してほしいから、裸になって身を捨てても構わない。戦争の恐ろしさを皆さんに知ってほしかった」