ハリルホジッチ前監督会見(全文1)私に対するリスペクトがなかった
私の人生にとって一番つらいといってもいい時期
4月の7日以来、私の人生にとりまして、やはり一番つらいといってもよい時期というものを過ごしてまいりました。そして人間といたしまして深く失望をしたわけでございます。と申しますのも、やはりこのサッカーというものから考えるとなんて残念なんだろうと思いました。というのは、私はこの地、日本という地にワールドカップの準備のためにやってきたわけでありまして、そしてわが代表チームというものをしっかりと予選通過をさせたわけであります。 そしてまた、やはりこのトップの方から私は1人のスタッフといたしまして、そして言い渡されたことでありますけれども、やはりここには日本のサッカーというものを考えたときに、何かそこに欠けていたものがあると思いました。そういった、私たちはサッカーという世界で45年間仕事をしてきて、それもハイレベルのサッカーでの45年間。そしてやはり監督という職業というのはやはり大変はかないものであるわけでありまして、どんなときだろうと何が起こるか分からない。 私自身がちょっとナイーブ、つまり物事を知らなかったという点があったのかもしれません。でも私自身はそんなことを後悔はしていません。というのは日本に来てやっていたこと、それはしっかりと仕事をして、そしてわがチームのために、わがチームが成功するためにやってきた仕事ばかりだったからでございます。そして私に対して通告されたことに対しましては、私は大変失望したわけでございまして、そして私に対するいわゆるリスペクトというものがなかったように思われました。
3年間、毎日ミーティングや試合を視察してきた
私自身、この3年間にわたりまして、日本代表チームのためにいろいろな仕事をしてまいりました。そしてぜひそうしたものをご説明したいと思ったわけでありまして、その3年間につきましては私自身がしっかりと誇りを持って仕事をしてきたと思っております。そしてそうしたものを責任者として果たしてきたと考えてきているわけです。 まず私が最初の日に日本サッカー協会のあちらのJFAハウスのほうに伺ったときに私、こう聞いたんです。私のオフィスどこにあるんですか。いや、あなたのオフィスなんてありませんよって。それですぐ私お願いしたんです。あ、それだったらぜひ私のためになんとかオフィスをしつらえていただけませんか。それからまた私のいわゆるアシスタントたちにもそうしたオフィスがないから、そうしたアシスタントにもぜひオフィスをなんとかしつらえてくださいってお願いしました。どうやらこれが日本のサッカーの歴史で初めてということだったようです。つまり代表監督がそのコーチに、つまりコーチといいましても、つまり自分たちに対してオフィスをしつらえてくれというようなお願いを出すのが。 そういった、私どもはこうやって毎日オフィスへと出勤をしていったわけでございます。それはいろいろ代表チームのセレクションをするだけではなくて、例えばメディカルスタッフも毎日このJFAにやってきて、サッカー協会にやってきて、そしてみんなが毎日出勤をしてくる。でもそうしたものは皆さんはちょっとなじみがなかったみたいでして。そしてそのあとはみんなどういう仕事の割り振りをして、そしてどういうふうな仕事をやっていくかというような組織立てをやっていきました。つまり監督として何をやるか、コーチとして何をやるのか、メディカルスタッフとして何をやるのか。 そして毎日毎日ミーティングを持ったり、それからまたテクニカルスタッフとともに実際に選手の試合など、視察にも行きました。そして選手1人1人についての報告書というものを作っていく。それからレポートを作っていく。そしてまたメディカルスタッフはというと、どの選手がどう故障しているのかというような、そうした細かいこのデータというものをレポートとして上げていくわけであります。それからまたアドミンのスタッフとともにコミュニケーションとか、そして毎日毎日そうしたいろいろな作業というものをやってまいりました。ですからオフィスにいて仕事をするときもあれば、また実際に試合の現場に行って、そして視察をするときもある。それは国内組の試合も、そして海外組の試合も同じです。