豪雨対策に「もう1本川を作る」 東京の地下河川計画が動き出す
気象庁は6月21日、関東甲信地方の梅雨入りを発表した。平年より14日遅い梅雨入りだ。梅雨から10月ごろまでの期間は「出水期」と呼ばれ、行政が風水害を警戒する時期だ。 【画像】地下40mにある巨大なトンネルの入り口 東京都の豪雨対策はどうなっているのか?都は去年末、防災中長期計画の1つの柱として、ある計画を発表した。「地下河川計画」だ。 地下に河川を作る構想は過去にとん挫したものだったが、都はなぜ今、地下河川計画を復活させたのか、取材した。 (テレビ朝日都庁担当 島田直樹)
■江戸時代以前から続く東京の治水工事 荒川は“人工の川”
東京の人工河川の歴史は江戸幕府が開かれる前まで遡る。1590年に江戸に入った徳川家康は、まず利根川と荒川の流れを大きく変える計画を立てた。これにより、治水と木材の舟運が活発になり、江戸の発展の礎になったとされる。 実は100年前にも巨大な工事が行われていた。「荒川放水路」だ。この名前は聞き馴染みがないかもしれないが、北区赤羽周辺より東側の荒川は、人工の川「荒川放水路」なのだ。 明治時代、荒川の下流部分、現在の隅田川では深刻な水害が相次いだ。対策を求める声に応える形で、国は1924年、長さ22キロにわたる人工河川の運用を始めた。それが「荒川放水路」だ。「荒川放水路」の完成で、隅田川に流れ込む水量が少なくなったため、洪水が減り、東京の経済発展が進んだともいわれている。
■交通の大動脈の地下で進んでいる工事
それから100年。現在、進められているのが東京の大動脈・環状7号線の地下での工事だ。去年の7月下旬に行われた報道関係者向けの内覧会。中野区でバスを下りた私は猛暑の中、ヘルメットをかぶり、細く急な階段を降りていった。すると、だんだん涼しくなっていった。地上からビル10階分ほど階段を降りた地下に、何と直径12.5メートルの“巨大なトンネル”が現れたのだった。トンネルは緩やかにカーブしていて先は見えないが、ずっと続いていた。 トンネルの名称は「地下調節池」。付近の川が増水すると、水を一時的にトンネル内に引き込み、洪水を防ぐ施設だ。 都はこれまでに、こうした地下調節池を神田川近くの環状7号線の下に4.5キロ、石神井川近くの目白通りの下に3.2キロ整備している。現在、この2つの地下調節池をつなぐ5.4キロの地下調整池を新たに作ろうとしているのだ。これが出来上がると総延長13.1キロにもなる巨大な地下調節池が完成する。 なぜ地下なのか? 都の有識者会議のメンバー・政策研究大学院大学の知花武佳教授はこう話す。 「川幅を広げるには、川沿いに住んでいる人たちは移転しなければなりません。地価も非常に高いので困難です。今の東京の都市部で、荒川放水路のようなものを作るのは非現実的と言わざるを得ないです」 環状7号線の新たな地下調節池の工事は5月末時点で1.1キロほどまで進んでいる。2027年度までにシールドマシンでの掘削を終える予定だ。