解体された国立競技場 数々の名場面を生んだ「聖地」の57年
2020年東京五輪のメインスタジアムとして建て替えるため、3月から取り壊しが始まっていた国立競技場(東京都新宿区)の解体が完了しました。1958年の誕生以来、数々のスポーツの名場面の舞台となってきた「聖地」がついに姿を消したのです。サラリーマンなら定年が視野に入った“57歳での引退”です。 【図】1940年に「幻の東京五輪」日本の五輪招致の歴史
五輪スタジアムからサッカーの聖地へ
国立競技場といえば、「東京オリンピック」(1964年)のメインスタジアムという印象が強いかもしれませんが、1958年の第3回アジア競技大会に向けて建造されたのでした。国立競技場の“少年期”はよき時代でした。高度経済成長の真っただ中にあり、給料も右肩上がり。最初の「名場面」は6歳の時、「東京オリンピック」の男子マラソンでしょうか。エチオピアのアベベ・ビキラが裸足でゴールラインを駆け抜け、前ローマ大会に続き2連覇を果たしました。「褐色の弾丸」ボブ・ヘイズを推す方も多いでしょう。ヘイズは男子100メートルで、当時の世界記録10秒フラットを記録しています。
70年代後半に“20歳”を過ぎると、「サッカーの聖地」として国内外から熱い視線を浴びるようになります。1979年の「FIFAワールドユース」では、アルゼンチンの若き新星がデビューし、躍動感あふれるプレーでMVPに輝きました。「神の足」ならぬ「神の手」を持つディエゴ・マラドーナです。1981年からはトヨタカップの舞台になり、“30歳”を過ぎた1993年には、発足したJリーグの開幕戦の舞台にもなりました。正月の風物詩となっていた天皇杯サッカーや全国高校サッカーの決戦も行われました。
ラグビーや陸上競技のメイン会場としても、輝きを放ちました。1982年のラグビー早明戦は6万6999人の大観衆を集めました。これは東京オリンピックの開会式・閉会式につぐ史上3位の入場者数です。1991年の「世界陸上」では、走り幅跳びでカール・ルイスとマイク・パウエルの名勝負が展開されました。